この世に生まれ落ちたとき、
どうやら私は「天真爛漫」だったようだ。
何にでも感動し、とびあがり、
子ども特有の元気さで好奇心を持ち、
あちこちはね回った。
しかし、周りに押さえつけられたり、
自分でも「こんな自分はアホやろか」と
ブレーキをかけ始め、
その天真爛漫さにブロックをかけた。
そして、自分がそういう素養があることさえ
すっかり忘れてしまい、
「落ち着いてはいるが、無感動な人間だ」
と思いこむようになった。
感動出来ないのは苦しい。
誰も傷つけていないのに苦しい。
我慢してるようだが、何の我慢なのか。
自分は何のために生きているのか。
真っ暗なトンネルの中で、たったひとりで
自分を捜すことにした。
押し込めるのに要した時間の分、
探す時間も同じだけかかったが、
ようやっと「あ、天真爛漫だった」と気づいた。
つまり、やっとスタートに戻ったわけで、
これからが本当の私の人生になる。
けれど、最初の「天真爛漫」と
トンネルを抜けた後の「天真爛漫」とは
少しニュアンスが変わっている。
最初は、自分の天真爛漫さに無自覚だった。
天真爛漫というよりは傍若無人だったかも。
自分が周りからどう思われているか、
どう行動したら他人の迷惑にならないか、
自分とは違うタイプの人間の言動の理由とか、
そういったことをまったく知らなかった。
けれど、トンネルをくぐることで、
たくさんのことを知ることが出来た。
自分を深く見つめ直すことが出来た。
自分の良さを発揮出来るTPOを学んだ。
トンネル万歳。
トンネルこそ、神様からのプレゼント。
ありがたいことに、トンネルには必ず出口がある。
私は何も変わっていない。
列車が、ひとつのトンネルをくぐったからといって、
車体の色が変わるわけではない。
結局、トンネルとは、経験なのだ。
私は、これからもきっと、
あらゆるトンネルをくぐり抜ける。
トンネルの数だけ、見えないものが見えてくる。
旅をすればするほど見聞が広がるから、
トンネルもまた、景色の一部として楽しもう。
私は、ありのままの私で、今日も走り続ける。
旅の不安なんて、ありえない。
「天真爛漫さ」と「経験」は、
誰にも盗まれやしないのだから。