ネットサーフィンしていたら、
とても良い話が載っていたので、
勝手ながら転用させてもらいます。
読みやすくするため、改行しました。
(元記事はコチラ 。引用した部分はラストの方にあります)
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☆「忘れかけていた大切なこと:ほほえみ一つで人生は変わる」より
曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、
「だいじょうぶの小石」というお話があります。
仕事がら病院に出入りを許されている一人の方が、
掌に入るくらいの小さな小石をもっていて、
これから手術を受けようとしている人に、
その小石を握らせてあげるのだそうです。
その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と
書いてあるので、それを握らせてもらった人は、
「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう」
と喜びます。すると、その方は、
「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、
どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ」
とおっしゃるのだ、というお話なのです。
この話を読んで、私のこれまでの考えは足りなかったと思いました。
これまでは「手術のためにお祈りしてください」と頼まれると
「はい、わかりました。きっとお治りになりますよ。大丈夫ですよ」、
そういう気持ちで「大丈夫」を使っていたことが多かったと思うのです。
祈れば神が私の願い通りにしてくださる、病気を治してくださる、
夫の怪我を治してくださる、子供の暴力を止めてくださる、
というのではなく、どっちに転んでも大丈夫、
神は悪いようにはなさらないという信頼、
腹のすわった心がまえ、
そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づいたのです。
「祈りは神を変えません。祈りは私を変えます」。
私たちが祈ると神はきいてくださる。
まるで私たちの意のままになる神のように想い勝ちですが、
私がどう願おうと、神はご自分の御心をお行いになるのです。
私は「欲しいもの」を願うけれど神は「要るもの」を下さるのです。
(引用はここまで)
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ここで紹介されている「忘れかけていた~」の本を書いたのは、
渡辺和子さん(ノートルダム清心学園理事長)だ。
普通「大丈夫」と言う言葉は
確かに自分の都合の良い側になった方が嬉しいが、
それは人間の一方的な思い。
人間の目から見て、結果が良くない側になったとしても、
それは神の計らいであり、救いなのだとわかったとき、
安らぎを感じられる気がする。
どっちに転んでも「大丈夫」と思った方が、確かに心強い。
なんと御利益のあるお守りだろうか。
大丈夫の小石、私も欲しくなった。
今度、気に入った丸い石を手に入れたら、
早速私も自分で手書きしよう。^^
この文章は、読んでいてとても励まされたので、
皆さんにもシェアします。