なんとなくだが、嫌になって家を飛び出して、

そこから離れ、ぐるりと遠回りして、

今また家に戻ろうとしている気がする。


グルグルグルグル、歩き回って。


そのうち、色んな事が見えてきて、

自分の囚われが消えてきたら、

家が恋しくなってきた自分がいる。


「家」というのは、リアルで住んでいる所ではなくて、

心のよりどころとでもいう場所なのだが。


今までの記事にも書いたかもしれないが、

私は神様に愛される資格を得るために

良い人間になるにはどうしたらいいかを

ずっとずっとず~~~っと、模索してた。


良い人間、完璧な人間にならなくては、

神様に愛されないんじゃないかと思っていた。


けれど、すでに、生まれたときから、

いや、生まれる前から、

ずっと愛されていたことに気づいて、

「な~んだ」と思うと同時に、

まるで母親を呼ぶように、神様を呼んでみたくなった。


今まで、呼ぶことが出来なかった。

資格がないと思っていた。


でも、資格なんて関係なかった。

親子関係に、資格なんて必要だろうか?

いや、いらない。


向こうが呼んでくれるのを首を長くして待つのではなく、

私から呼びかけても良かったのに、

なのに、呼べるほど偉くないと、卑下していた。

自分に自信がなかった。


「求めよ」という声が聞こえてきた気がする。


「求めよ。さらば、開かれん。」


これって、求めなきゃ開かないのかと思ってた。

違うじゃん。


本当の翻訳は、きっと、こう。

  ↓

「いつでも求めて良いんだよ。開いてるんだから。」


ふふ。神様って、コンビニみたいだな。



本当は誰よりも愛されたかったのに、

愛されていないなどと勘違いして、

逃げるように家を出てしまった。

でもそろそろ、家に、帰ってみようか。

うん、帰ろう。お腹空いたし。


ドキドキしながら、敷居をまたぐ。


「ただいま。」


きっと、お家では温かいご飯が待っている。


そして、私のやるべき仕事が待っている。



聖書 放蕩息子とは