以前、ビーイング(Beingと)ドゥーイング(Doing)について、

さらっと書いてしまって終わりにしたので、

今回はもう少し、詳しく書いておこうと思う。


ドゥーイングとは目に見える世界のことであり、

ビーイングとは、目に見えない世界のことである。


物質、競争、成果などに重きを置いているのが

ドゥーイングであり、今の世間一般の生き方である。


一方、ビーイングは、存在そのものに重きを置いている。

そして、愛や思いやりを大切にする生き方だ。


ビーイングを忘れて、ドゥーイングにばかりに生きると、

他人をけ落としたり足を引っ張ったりして、

自分さえ良ければいいと自分勝手になり、

なんとか自分が上に上がろうとばかり考えるようになる。

上に上がれない人は、自分のことを無価値と考え、

また、運良く上に上がれても、何故か幸福感が得られない。

いつまた追い抜かれ、追い落とされるかと、心が休まらない。

誰かが富めば、誰かが損をする。不平等の世界。


ビーイングは、ありのままの自分を肯定する。

ありのままの自分を肯定すると、

他人のありのままも肯定出来るようになる。

たとえ見た目は違っても、

生まれ、周りに支えられ、そして死ぬことは平等。

ひとりひとりが尊い人であり、生きるに値するという考えだ。


どっちの世界で生きたいか。それを選ぶのは個人の自由。


ただ、どちらか片方というのはやっぱりダメで、

両方ともバランスが取れて、

はじめて前に進めるものだと思う。


****


先日の記事にも書いたが、私は、

ビーイングで夢想した自分の真の自己実現を、

どうにかドゥーイングで表そうと思っていた。


が、そこで、ドゥーイングの罠に陥ってしまっていた。


つまり、自分の理想とする主婦とは、

家事も育児も全て完璧にこなせる姿であり、

それを実際には出来ない自分を卑下していたのだった。

この考え方は、まさにドゥーイング観念そのものだった。


自分を否定するのは、ビーイングではない。


では、どうすればいいか。


頭の中に自分の思う理想がある。

それは、持っていて良い。

そして、今の自分も

そのままで愛されているということも忘れてはならない。

あとは、楽しみながら、理想に近づけばいい。

日々少しずつ前向きに進めばいい。

実際には、出来ても出来なくても良い。成果ではない。

ただ、自分なりに楽しんで生きること。

そのように生きている自分を、愛らしく思う。

これこそが、バランスの取れた生き方なんだと思う。


何をするのが良いのか、ではなくて、

何かをするときにどういう思いでいるのか、が

一番大切なのだと思う。


完璧な主婦であるために、

専業主婦ではなく職業にもつかなくてはならないとか、

パエリアを一から十まで全て手作りせねばならないとか、

いつでも子どもとニコニコしていなければならないとか、

そのように、見た目に焦点を置くのではない。


見た目のみに焦点が合ってしまうと、

子どもに十分な玩具は買ってやっているはずとか、

お金を払って居るんだから食べ残したって気にならないとか、

テストで100点を取れたらご褒美をあげるとか、

対価でしか物事を見られなくなる。


そうではなくて、

皿を洗っているときに自分がどういう気持ちでいるか、

家族と話しているときにどういう気持ちでいるか、

おにぎりを作るときにどういう思いを込めているかとか、

家族が今どんなことを本当に望んでいるか耳を傾けるとか、

自分の心のありようが大切なことなのだ。


見せかけで良いことをしたって、

心がこもっていなければ、

自分自身が感動しないし、

相手に感動を伝えることも出来ない。・・・ということ。


ドゥーイングで心を忘れるな。

ビーイングで理想を追い求めすぎるな。


今の自分は充分輝いている。

そして、これからもさらに磨いていこうよ、というお話。