前回、ポジティブとネガティブ という記事を書いた。
これは、その続き。
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前回、ポジティブとネガティブ思考と、客観的見方、
さらに自分のポジィティブ思考の話を書いた。
これを頭の中でやると、実際、かなりの手間である。
(1) 物を見る(情報が勝手に入ってくる状態)
↓
(2) 感じる(たとえばネガティブに)
↓
(3) 考える(上の感じとは逆の見方をしてみる)
↓
(4) 感情と思考を捨てて、もう一度、物をありのままにみる
↓
(5) 自分にとってベストな感情や考えを選択する
↓
(6) 自分にとってベストな行動する
・・・という流れになる。
思考が長時間フル回転するので、
最初に物を見てから、行動するまでに時間がかかる。
石橋を叩きすぎるくらいに考えすぎて、
行動する前に疲れることもある。
後悔のない最善の行動に入ることを
もっと早くするにはどうしたら良いだろうか。
時間の短縮化が、課題であった。
あるとき、一気に短縮化出来る方法がわかった。
(2)と(3)をすっとばしてしまうのだ。
(1)→(4)→(5)→(6)にすれば良い。
(1)と(4)は、実を言うと同じではない。
(4)は、(2)と(3)を通った上でのことなので、
まったく私情を交えていない見方なのだ。
だから、本当にするべきは、
(4)→(5)→(6)になる。
これだけになると、本当に早い。
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最初はどうしても(1)があると(2)が入り込んでしまうが、
それをなるべく消す努力をしてみる。
(1)を即、(4)になるように、見方を切り替える。
この努力を、仏教では「自我を捨てる」と言うのかもしれない。
(2)が心にわき上がることがなくなれば、
(3)も考える必要が無くなる。
(2)と(3)が消えたとき、(4)の見方が出来るようになる。
(4)とは、積極的に物の全体を見る、ということだ。
(4)で物を見ていると、
ここで何故か「直感」というものが入り込んでくる。
この直感とは、私の感覚からすると、
「私の頭」というパソコンに、別の次元から、
一瞬で圧縮ソフトがダウンロードされる感じだ。
ダウンロードされたあと、さらに一瞬で解凍作業が始まり、
私の頭の中には、(2)の見方、(3)の見方、
(5)の見方が全部把握出来るようになる。
あるいは、見方云々をすっとばして、
ただ、「ベストな動き方は、こうである」とわかったりする。
他には、ひょうたんからコマのごとく、実生活において、
思いがけないところからヒントが出てくることがあり、
それが、ひらめきのきっかけにつながることがある。
で、「ああ、これから、こう動くのがベストなのだな」と
最終的な答えがはじき出されるので、
即、行動に移せるようになる。
直感が入り込むと、私は考える必要が無くなる。
つまり、(4)→直感→(6)になる。
これは、(4)→(5)→(6)の流れよりも格段に早い。
直感は、自分の考えで凝り固まっていると、
頭に届きづらくなるので、いつも直感が働くわけでもない。
いつも、心を研ぎ澄ませている必要がある。
あるいは、直感に見えて、
実はエゴの声ということもあるので、
その辺の判断は、冷静に行わねばならない。
ある直感に従うかどうかは、
やはりそれも私の個人的な自由に任されている。
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もっと、簡単に説明したい。
ある事物に対して、
自分の評価、他人の評価を一切捨ててしまう。
たとえば、目の前に100万円があるとして、
「これっぽっち」とか「こんなに」などという感想や、
「増やしたい」「減ったら嫌だ」などの損得も消す。
「これを持っている自分を他人はどう思うだろう」
というような邪推をも一切考えない。
100万円を目の前にして、ただ、じっと見続けていると、
直感で、一番良い使い方がひらめく。
あとは、その通りに100万円を使うだけになる。
ただ、最終的に使うと決めたのは自分であるので、
その責任はしっかり負わなくてはならない。
また、別の例をあげてみよう。
例えば、路上で誰かに刺されたとする。
そのときに、「何でこんなことをされたのか?」とか
「刺されてくやしい」とか「悲しい」とか
ただひたすら自分の感情や考えに流されていては、
時間がただ無駄に過ぎていくだけだ。
だったら、「まず止血だ」とか
「病院に最短に行くにはどうすべきか」という
次の行動を考えた方が前向きだし、
直感が受けやすくなる。
直感は伝えるだろう。
止血の仕方を。公衆電話やコンビニの場所を。
さらに車にひかれぬよう、
道の端に動くべきなどの指示を。
自分が助かる可能性はUPするだろう。
つまり、最優先事項を把握するために、
直感を利用するわけだ。
・・・これで、ニュアンスが伝わるだろうか?
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私が普段、直感という名で
いつもひらめく内容と、その順序を言葉にしてみた。
もしかすると、他の人にとっては
直感の受けとめ方も違うし、
定義そのものも違うかもしれない。
ただ、私の場合はこうである、
ということを、申し添えておく。