昨日の記事から色々と考えてみれば、
私は自分が女であることから
ことごとく避けていた気がする。
服装や小物を選ぶときも、
動きやすいもの、実用的な物を選び、
ユニセックスなものばかりを手に取っていたし、
フリルとかリボンが付いていれば、
それは購買対象から外れた。
それは単に好みの問題かと思っていたが、
根底に問い直してみると、
どうやら自分がそれらを避けていたようだ。
女性に見られたくない。
中性的でありたい。
オシャレをしたくない。
とにかく体全体を隠したい。
女らしい仕草をしたくない。
女性らしい言葉を使いたくない。
子どもの時に、女の涙を駆使する子だった。
わざと泣いて、
状況を自分の思い通りにする面があった。
それを中学の時、女友達の一人が、
「泣いてごまかそうとしたって、ダメだからね」
の一言で、自分が今まで何をしていたか
やっと気づかされ、そういう面を持つ自分が嫌になった。
だから、もう泣くまい、と決めた。
ついでに、女であること自体を
そのときやめてしまったような気がする。
すぐに泣くような、女々しい女にはなるまい。
それは、とてもずるい行為なのだ、と。
また、その中学時代において、
オシャレをする同級生を見ているときに、
「あんな風にチャラチャラしたくないよね」と
先ほどの友達ら(いじめっ子たち)に言われ、
「ああ、あのような格好をしたら、またいじめられる」
と自分を封印したのかもしれない。
それらのことをつらつらと思い出してみたら、
な~んだ、そういうことか、と納得出来た。
つまり、私は、オシャレがしたかったんだ。
女らしい格好がしたかったんだ。
それをずっと抑圧していたんだ。
そうかそうか。よしよし。いいこ、いいこ。
これからは、私がそれを許しましょう。
好きな服装をしてよろしい。
女らしい仕草もして、よろしい。
これからは、自分の着たい服を着よう。買おう。
・・・そんなわけで、
私の服の趣味、180度変わりそうな予感。