一生懸命書いていた記事が、消えてしまった。

UPしてはいけない内容なのだろう・・・。


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でも、消えた部分(なれそめ)はおいといて、

続きを書こう。


結婚してから、時々、考える。

この結婚が正しかったのか間違いだったのか。

ただ、「縁」はあったと思う。確実に。


じんらくさんのブログで、カードの話 が出ていた。

表) 「夫婦は仲良く」と書いてある

    ↓ 裏返す行動①

裏) 「きらい」と書いてある

    ↓ 裏返す行動②

表) 「夫婦は仲良く」と書いてある


この記事を読んで、色々考えてみた。

たぶん、私は今、②の所だと思う。


ただ、私のカードは、

表には、「夫を大切にする」で、

裏には「どうでもいい人」と書いてあるんだけど。

(嫌いっていうのは、まだ愛があるんだよね。

 愛がないのは、無視なんですわ)


今、私が見えているのは、

カードがテーブルに垂直に立っていて、

裏も表もなく、カードの縁が見えている。


表にするか、裏にするかは、私の自由なのだ。

気分次第で、立ったカードが揺れるので、

ちょっとめくれて、裏表どっちかが見え隠れする。


この揺れを、夫婦の醍醐味にしても良いのだが、

この記事をここまで書いて、

私はたった今、決心した。


カードを表にする!

そして、カードの四つ角を、信念という釘で

テーブルに打ち付けてしまうことにした。


がっちり固められたカードは、もう二度とめくれない。


何故、そんなことをするのか?

カードには、裏表がある。めくれるのが普通ではないか?

確かにそうかもしれない。でも、決めたんだ。

私が、表を選んだだけだ。


裏にしたって、いいことはひとつも無い。

そのことに、今、気が付いた。

だから私は、これから、表だけを見ることにした。


無私となって、どこまで夫を大切に出来るか。

これは、自分自身への挑戦なのだ。


この釘は、もう二度と揺るがない。揺るがせない。

釘抜きは、海の向こうに投げ捨ててしまおう。


だから、誰か(夫か私か、もしくは第三者)が

無理矢理にでもカードを裏返そうとしたら、

その時、ひょっとするとカードは破けるかもしれない。

それが、私たちにとっての夫婦の終わりだ。


このカードが破けないよう、今後ずっと死守しよう。


命が尽きるまで、完璧に守ることが出来たとき、

あるいは、少なくとも私がカードをめくろうとしなければ、

この結婚は正しかったのだと、

私は、神様の前で堂々と言えるのだろう。



こうやって、釘で打ち付けてしまう行為が、

じんらくさんのおっしゃる「頭で納得させる」

ということなんじゃないかな、などと思っている。