一生懸命書いていた記事が、消えてしまった。
UPしてはいけない内容なのだろう・・・。
****
でも、消えた部分(なれそめ)はおいといて、
続きを書こう。
結婚してから、時々、考える。
この結婚が正しかったのか間違いだったのか。
ただ、「縁」はあったと思う。確実に。
じんらくさんのブログで、カードの話 が出ていた。
表) 「夫婦は仲良く」と書いてある
↓ 裏返す行動①
裏) 「きらい」と書いてある
↓ 裏返す行動②
表) 「夫婦は仲良く」と書いてある
この記事を読んで、色々考えてみた。
たぶん、私は今、②の所だと思う。
ただ、私のカードは、
表には、「夫を大切にする」で、
裏には「どうでもいい人」と書いてあるんだけど。
(嫌いっていうのは、まだ愛があるんだよね。
愛がないのは、無視なんですわ)
今、私が見えているのは、
カードがテーブルに垂直に立っていて、
裏も表もなく、カードの縁が見えている。
表にするか、裏にするかは、私の自由なのだ。
気分次第で、立ったカードが揺れるので、
ちょっとめくれて、裏表どっちかが見え隠れする。
この揺れを、夫婦の醍醐味にしても良いのだが、
この記事をここまで書いて、
私はたった今、決心した。
カードを表にする!
そして、カードの四つ角を、信念という釘で
テーブルに打ち付けてしまうことにした。
がっちり固められたカードは、もう二度とめくれない。
何故、そんなことをするのか?
カードには、裏表がある。めくれるのが普通ではないか?
確かにそうかもしれない。でも、決めたんだ。
私が、表を選んだだけだ。
裏にしたって、いいことはひとつも無い。
そのことに、今、気が付いた。
だから私は、これから、表だけを見ることにした。
無私となって、どこまで夫を大切に出来るか。
これは、自分自身への挑戦なのだ。
この釘は、もう二度と揺るがない。揺るがせない。
釘抜きは、海の向こうに投げ捨ててしまおう。
だから、誰か(夫か私か、もしくは第三者)が
無理矢理にでもカードを裏返そうとしたら、
その時、ひょっとするとカードは破けるかもしれない。
それが、私たちにとっての夫婦の終わりだ。
このカードが破けないよう、今後ずっと死守しよう。
命が尽きるまで、完璧に守ることが出来たとき、
あるいは、少なくとも私がカードをめくろうとしなければ、
この結婚は正しかったのだと、
私は、神様の前で堂々と言えるのだろう。
こうやって、釘で打ち付けてしまう行為が、
じんらくさんのおっしゃる「頭で納得させる」
ということなんじゃないかな、などと思っている。