以前、一般意味論のことを書いたとき、
「レッテルを剥がそう」みたいなことを書いたが、
レッテルも使いようのような気がしてきた。
自分にとっても相手にとっても好都合なレッテルなら、
上手に使っても良いのではなかろうか。
レッテルが全て悪いというわけではないのだろうから。
先日、気持ちが荒れていて、
すごく自己嫌悪になってしまった。
手近な物を破壊したくなったし、
誰にでも八つ当たりしたくなったし、
自分自身が許せなくなってしまった。
どこでこんな風になったのか、考えてみたのだが、
自分はいい子であろうとして努力したのだが、
それが認めてもらえなかったり、
その努力があまり役に立っていないとき、
私はどうやら切れてしまうらしい。
ええ、どうせ、私は本当は悪い子ですよ。
ずっと猫をかぶっていましたよ。
もう、元に戻りますよ、いいでしょ、それで。
そんな風に捨て鉢になっていたのだけれど、
ふと、こんな風に思い直した。
「私は今、菩薩になろうとしている女だ。
だから、こんな風に荒れてはならないのだ」
そうだった。
「私は菩薩。私は菩薩。
・・・怒ったときは、数を数えよう。い~ち、に~、さん、・・・」
すると、す~っと、怒りが収まった。
これからは、自分にこのようなレッテルを貼ろう。
「菩薩になろうと努力中の私」と。
付け焼き刃と思われてもいい。
そのうち、本物になるかもしれぬ。
レッテルに振り回される気質が人間にあるのなら、
逆にそれを上手に活用してやろう。
ついでに、周りの人たちにもそっと張っておこう。
「神様気質を持っている人々」だ、と。