「決めつける」というのは、
「レッテルを貼ること」と言い換えることも出来るだろう。
生徒の一人が、ある日、はきはきと発言した。
だからといって、その子が、
いつもはきはきしているかというと、
元気の良い日もあれば、悪い日もあるし、
小さい頃はもっと消極的だったかもしれないし、
明日は急に自信を無くしてしまうかもしれない。
だから、その生徒を見て先生が
「この子は、積極性がある子だ。(ずっとそうだろう)」
と決めてしまうのには無理がある。
この間、私は自分の記事で、自分のことを
「みにもるは、勤勉ではない」と書いたが、
勤勉に頑張った時期も、実は、昔はある。
だとしたら、勤勉ではないとか、勤勉である、とか、
自分に対してさえ、言えないんじゃなかろうか。
たった一人の人間でさえ、
一分一秒で、様子が変わっていく。
なのに、レッテルというやつは、
一度貼り付けると、なかなか取れなかったりする。
自分や周囲が貼り付けると、取り消すのが難しい。
レッテルに左右されるようになる。
一度万引きした子を「問題児」として
今後ずっと取り扱うことにしてしまうと、
更正する気持ちを奪うことになりかねない。
自分はうつ傾向があるから、と決めつけると、
ちょっと凹んだだけで病気のせいにしてしまったりする。
店長は怒りん坊だ、と決めつけてしまうと、
怒っていないときにであっても、報告しづらいとか。
「自分は若い」というレッテルを貼ったら、
若くない自分を認めたくなくて、
高級化粧品を買いあさったり、若者の服を着るとか。
レッテルに従うのは、しんどい。
従いたくないのに、周りが要求したりする。
あるいは、自分(他人)はそうなのだと、思いこんだりする。
だったら、変なレッテルは止めてしまった方が良いかも。
(レッテル=断定)
「絶対」「~である」「~に違いない」「ずっと変わらない」
と決めつけるのではなく、
「今は」「今日(だけ)は」「~のようだ」「~の傾向がある」
「~っぽいところがある」
と、現状を見つめる姿勢がいいかもしれない。
「過去にあった」「昨日もあった」「今日もあるに違いない」
「今日のことが明日も未来もずっと続く」
という連続性は、かなり曖昧だということに
気づかなくてはならないのかもしれない。(諸行無常)
だから、冒頭の話で、はきはきした生徒を見た先生は、
「お、はりきっているな」
「この子は、積極的な面もあるな」
「この子は、今は元気だな」
「この子の今日の発言は、すばらしいな」
と、今を見るべきであって、
過去と比べる必要もないし、
未来にもその姿を期待するべきでもないし、
他の子どもと比べる必要もないのだろう。
じゃあ、そもそも、
なんでレッテルを貼ってしまうのかというと、
それ以上、そのことについて深く考えるのを
やめてしまいたいからだろう。
毎度毎度、深く考えるのはしんどい。
だから、レッテルを貼って安心しようとする。
記号化することで、思考作業を簡易にしようとしている。
つまり、これは、怠惰なのだろう。
いや、怠惰とも言い切れないか。
もしかしたら、まぎれもない単なる事実を
自分の色眼鏡を通して見てしまっているとも言える。
その色眼鏡を取って、
ちゃんとそのものを見るだけで良いんじゃないか?
むしろ、その方が楽チンなんじゃなかろうか。
勝手に解釈してレッテルを貼って勝手に疲れている、
という図式が成り立ってくる。
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(ここからは独り言。あ、記事全部、独り言か)
そういえば、ジェンダー・フリーとか何とかで、
男が男らしく、女が女らしくはおかしいから、
決めつけないようにしよう、という流れがある。
まあ、それは良いんだけど、今度は、
「決めつけてはいけない」っていうこと自体が
なんとなくレッテルになってしまい、
「中性的な格好でなければ」とか
「危険な仕事だけど女性にもやらせないと」みたいに
なんだか変な流れになったりする。
決めつけるのは止めよう。
相手の意見を尊重しよう。
相手を丸ごと受け入れてみよう。
相手の良いところを伸ばそう。
足りないところは補い合おう。
そういう姿勢が、本当のフリーなんじゃないかな、と思う。