ただいま、一般意味論について、考え中。
レッテルを貼ると、推論や断定を
事実として誤認してしまう場合がある。
・・・ということを、なんとなく理解してきている。
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夫が「○党は恐ろしい集団だ」と言う。
何故かと聞いたら、「昔、人を殺したからだ」という。
「そんなニュース、いつ流れたの?」と私が聞くと、
「流れていなくても、それは事実だ」という。
そして、「お前が○党に投票するなら、離婚する」という。
舅も同じ事を言っていた。
たぶん、夫は舅から聞いたのだろう。(←推論だが)
舅に○党の話を聞くと、同じように「殺人集団だ」と言う。
私にとっては、夫の実家で
○党=恐怖の集団という話を「聞いた」ことだけが真実。
私は、○党に対して、何とも思わない。
少なくとも今は、恐怖を感じていない。
夫たちの意見を聞いても、それは変わらない。
でも、夫たちの意見を無視しているのではない。
それは、聞いたこととして、私の経験に追加された。
その情報をどう生かすかは、私次第だ。
私自身は、レッテルを貼らないようにしたい。
私の目の前で、○党の人間Xが本当に殺人をしたら、
その時、Xを殺人者だとは思うが、○党全部はくくらない。
(「抽象のはしご」参照)
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Aさんが、「UFOを見た」と言ったとする。
Aさんは、それは事実だと考えている。
Aさんにとっては、事実で、実体験のようだ。
それを聞いたBが、
ああそう。Aさんにとっては、それは事実なのね。
と、容認すればそれだけでいいんじゃないかな。
BはUFOは信じていない。
なぜなら、1度も見ていないから。
それはそれでいいんじゃないかな。
ただ、自分が信じていない、見ていないからといって、
「UFO写真は世界であちこち出ているが全部でたらめだろう」
「UFOは世間では認められていないはず」
「だからAは間違っているにちがいない」と考え、
Aさんに「お前は嘘を付いているだろう」と
Bが決めつけるのは一方的なBの主観だ。
そうなると平行線になる。
Aは「自分は見たから本当だ」と言い、
Bは「自分は見ていないから嘘だ」と言う。
見たからといって、それが本当のUFOかどうかはわからない。
見ていないからと言って、それが存在しないとも言えない。
こうやって書いていくと、何が本当かわからなくなってくるが、
とりあえず、自分の実体験を軸にしていくしかないだろう。
自分にその実体験が無いからといって、
他人の実体験を否定は出来ない。
また、自分の実体験で、奇妙な体験をしたことを、
「気のせい」で片づけてしまうのも、
体験した事実を否定していることになる。
自分や他人の体験を頭から否定したら、
相互理解も成り立たないし、真実も追究出来ないのでは?
じゃあ、相手から聞いた実体験や、
自分の実体験をどうするか、というと、
肯定も否定もせず、推論も断定もせず、
まずは、ありのまま、取り込んでみるしかない。
人から聞いた話で、事実を探すとするならば、
「Aさんは、UFOが存在すると言っていた」
「Aさんがそう言った所を、自分は見聞きした」
あるいは自分のことで、
「その体験をしたのは明らかだ」
「他人には信じられなくても、自分は体験した」
などという、
すごく狭い範囲だけだが、
自分にとっては、それが本当の事実となり経験となる。
・・・のかもしれない。
でもって、その狭い範囲しか知らない自分を
謙虚に受けとめるしかない。
あと、最近は仮想体験があるが、これについては、
「自分は、○○体験をした。ちなみにこれは仮想だ」と
但し書きをつけて覚えておかなくてはならないだろう。
でないと、実体験と混乱してしまうから。
このように、実体験のみの整理をして、
不必要なレッテルを剥がしていくと、
そのものの真実が見えてくるのかもしれない。