道を歩いていたときに、5円玉を拾った。


ポケットに落とし込む。


けれども、以前のような、「ラッキー」という

気持ちが起こらない。


そこには、「必然」が横たわっていたから。


つまり、私は(今まで忘れていたけれども)

ずっと前に5円玉を落としたから、

それが目の前に表れただけ。


もし、今回拾ったことが縁の始まりならば、

いつか私は5円玉を落とすであろう。


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石を投げる。それはいつか戻ってくる。


戻ってくるのは、即日か、明日か、30年後か、

100年先か、来世か。


けれども確実に戻ってくる。


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シュリーマンは、トロイア遺跡を発掘した。


これさえも、偶然ではない。


彼は、心のどこかで場所を知っていたから、

発見することが出来ただけ。


ずいぶん前に、竹藪で3億円を見つけた人がいた。


でも、これも、その人が過去に落とした物であろう。


だとしたら、うらやましがる理由はない。


徳川埋蔵金が見つからないのは、

それを過去に埋めた人本人ではないからだ。


ただ、それだけのこと。


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もし、将来、5億円を見つけたいのなら、

今すぐ5億円を用意し、埋めると良い。


そうしたら、明日、そこを掘れば、見つかる。

当たり前でしょう。


10年後でも、100年後でも、来世でも、

自分がやったことならば、

それを見つけることは可能なのだ。


ひょっとすると、せっかく埋めた物を

誰かに盗まれるかもしれない。


が、盗まれることも、過去、

自分のしたことが戻っただけ。


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因果応報。すべては、これだけのこと。



・・・と、5円玉1枚で、考えた。