世の中には、何でもかんでも信じる人もいるし、
あるいは全てのことを否定して信じない人もいる。
そもそも、信じるとは何なのか。
とある本にこんな記述を発見。
「信じるとは、未知の何かを受け入れること」と。
信じる人はどんなことを信じるのだろう。
宝くじが当たることを信じる。
自分の子どもが将来、出世することを信じる。
持っている株の価が上がることを信じる。
大手の企業だから信じる。
自分の可能性を信じる。
予言者の言葉を信じる。
神様はいるらしいから信じる。
自分の上司を信じる。
本当の愛がこの世にあることを信じる。etc
一方、信じない人。
宝くじなんてどうせ当たらないから信じない。
我が子が出世するなんてあり得ないから信じない。
株なんて持っていたって仕方ないから信じない。
企業なんてどれも裏で何をしているかわからないから信じない。
自分の可能性なんか信じない。
予言者なんてウソばかりだから信じない。
神様なんて目に見えないから信じない。
自分の上司は所詮他人だから信じない。
愛なんて見えない。どこにもない。信じない。etc
こうやって、色々考えていくと、
信じる人より信じない人の方が人生を損してる気がする。
株を持つべきか持たないべきか、という金銭的な話ではなく、
日頃の生活に希望を持てるかどうか、というレベルの話だが。
闇雲にどれも信じろ、という訳でもないけれども、
全て否定して生きていたら、
何が面白いんだろう、この世で生きていて。
信じるものが何一つ無いなんて、寂しい人生じゃないか?
何かにつけて信じない、と言う人は、
信じた後、裏切られる可能性を恐れているのだと思う。
もし、自分が騙されていたとしたら・・・などと、
自分の中にわき上がる不安を信じている人なのだろう。
そうだね。確かに、裏切られるはイヤだよね。
でも、まだ裏切られると決まった訳じゃないから、
万一、裏切られたら、そのとき考えようよ。
裏切られて腹が立ったら、
自分にも打算がなかったか、思い出そう。
また、心底信じて、それが裏切られたとしても、
信じた自分はたぶんそれまでは幸せだったと思う。
もし、誰かや何かを信じて、裏切られたという経験があるのなら、
もう何も信じられないと言うのなら、
せめて、自分のことは信じようよ。
他人を裏切らない自分になろうよ。
信じてもらえる人間になろうよ。
自分には、自分を助ける力があると信じようよ。
信じることが出来る自分を愛そうよ。
それだけでも、たぶん、世界が違って見えるはずだから。
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私は、自分のことは信じている。
だから、幸せに生活出来ている。
そして、この世の中のことに関しては、
全てのことを信じているわけでもないが、
だからといって、
未知のことを頭から否定することはしたくない。
すぐさま否定ではなくて、保留にする。
そして、片っ端から情報を集めて、それから決めたい。
集めた情報が全て同意見だったとしても、
最終的には自分の良心に照らし合わせることも
忘れないようにしたい。
よくよく調べもせずに、信じる信じないを安易に決めるのが
一番良くない態度だと私は思う。