たとえば、Aさんという人が
たまたま木の枝を持って振り回して遊んでいたとき、
そこを偶然通りかかった自分の目に当たって、
自分は失明してしまったとする。
あなたはAさんを、訴えるだろうか。
もし、Aさんがとても憎い相手だったら?
もし、Aさんが愛する人だったら?
同じように訴えるだろうか。
では、たとえば、誰もいない森の中を
グルグルと歩いているときに、
とある木の枝が目に当たって、
自分が失明してしまったとする。
あなたは、その枝を訴えるだろうか。
それとも、その森の所有者を訴えるだろうか。
また、たとえば、あなたが化学者で、
自分の研究を一人で行っていたときに
実験に失敗して失明してしまったとする。
あなたは、自分自身を訴えるだろうか。
どこまでも自分を責め続けるのだろうか。
そんな風にして、
失明の悲しみを怒りに変換し、
怒りをどこか別の場所に向けようとするのなら、
あなたの怒りは決して消えることはないだろう。
もし、私なら、
どんなAさんにやられようが、自然の枝にやられようが、
自分の実験の失敗であろうが、
とにかく目を失明してしまったのなら、
しばらくは凹むだろうけれど、結局は
「もう、自分の目は見えない」という事実のみを
しっかり受容するだろう。(というか、したい。)
そして、
「マッサージ師には、なれるかも」と前向きに捉え、
その体で生きていこう。
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ほとんどのことは自力で解決出来たとしても、
自分の力ではどうしようも出来ないことって
この世の中にはたくさんある。
それはただ、丸ごと、受け容れていきたい。
受け容れて、そこから先を、強く生きたい。
心から、そう思う。