おととい(いる、ということ )と
昨日の記事(音量レベルのように )のつづき。
昨日、「幸せレベル」と書いたのだが、
この名称では、誤解を生むかもしれない。
たとえば、私が今、重い病気になったときや、
体調の変化、気分的にすぐれない時。
あるいは、持っていた物を失ってしまったとき。
この「幸せレベル」の数値がすぐに下がるのか、
というと、それは違うからだ。
体調レベルと、幸せレベルは別物。
所有物満足レベルと、幸せレベルは別物。
突然、五体不満足になったり、破産したら、
普通の人は不幸のどん底だと思うだろう。
けれども、それを不幸と思わず、
明るくたくましく生きていられる人がいる。
これが、心の幸せレベルが下がらない人だ。
だから、昨日書いた「幸せレベル」は、もしかすると、
「他人へのおもいやりレベル」と言い換えた方が
いいかもしれない。
幸せ状態=天国レベル=利他の愛。
不幸せ状態=地獄レベル=エゴへの愛。
以前、私は、自分のことしか考えていない人間だった。
が、ある日、近所の子どもたちに飴をあげた途端、
体中を貫いたエクスタシーが未だに忘れられない。
(性的な感じではなく、猛烈な幸せ感覚↑)
「これが、本当の幸せなんだ!」と体感出来た。
上手に説明出来ないけれど、
もらうよりあげる方が、とても幸せな気分になれるのだと、
初めてその時にわかった。
あのときの幸福感を持続したいから、
他人への思いやりを忘れないようにしたい。
しかし、その快楽というか、気持ちよさを欲しいから
良いことをしよう、というよこしまな考えでは、
あの感覚はやってこない。
無心にならないとだめ。
そのあたりが、すごく難しい。
人のために役立つことがとても楽しい。
相手の気持ちをくんであげたいと心から思う。
そう考えながら行動すると、
相手からの見返りなんかどうでも良くなってくる。
上記のような気持ちを保ちながら
相手に何かをすると、途端に心の中が幸せで満たされる。
世界中が輝いて、全てに感謝したくなる。
天にも昇る心地よさ。自分の存在の全肯定。
それは神様からの最大級のご褒美。
もう、それだけで、私は十分に報われている。
「ボロは着てても、心は錦」って、
きっとこういうことなのだろう。