高校生の頃、授業で倫理を習った。
ソクラテスとプラトンのくだりになったとき、
なんだかとても心が高揚した。
プラトンのイデア論をノートに書き写していると、
「そうそう、これこれ。やっぱり、いいよねえ」
とわからない感想が浮かぶ。
初めてこのときに、イデア論を知ったばかりなのに。
まるで、ビールのうまさを知っている人が、
久しぶりに夏の暑い日にまたビールを飲んで、
「か~っ。やっぱり、これだね~」というような気分。
(当時は高校生なので、この比喩は不可能だったが)
ところが、次にアリストテレスの話になって、
彼の「イデア論を否定」という話になると、
「おまえか!お前のせいで・・・!!」
と、怒りがぶわっとわき起こった。
そんな自分に、「はて?」と我に返る。
なんでこんな気分になるのか、さっぱり訳がわからなかった。
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それから、ン十年も経った、去年の夏。
実家の荷物を整理していたときに、
当時の倫理ノートがひょっこり出てきた。
「ああ、このノート、なつかしいなあ」とパラパラとめくると、
またソクラテスとプラトンの名前。
自分が書いた彼らの記述に、
まるで旧友に会えたようななつかしさと
うれしさがこみ上げてきた。
そして、また、少し後の方に、アリストテレスの名を見る。
(高校生の時は反感を持ったが、今は違うだろう・・・)
そんな気持ちでまた読み進めたら、
「イデア論に反論し・・・」という文で、
「やっぱり、お前か。お前のせいで、
この世の中がおかしくなったんだ!」と、
まったく同じ感想が思いがけず私の心に出現し、
当時と同様、その思いにあわてふためいた。
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何故そんな気持ちになるのか心当たりがまるでないのだが、
どうやら、自分の前世は、
ソクラテスかプラトンに
かなり心酔している人物だったのかもしれない。
あるいは、もっと身近で、プラトン学派の一人だったのだろう、
というのが私の現在の仮説。
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今日ちょうど図書館で借りてきた本に、
こんな記述を発見。
『古代ギリシアの哲学者プラトンはいう。
「簡単に得られる知識というのは、それがすでに
自分のものになっていたから、
すらすらと入ってくるのである」と。そして、
十七世紀フランスの偉大な哲学者デカルトも
「人間はみな、前世の記憶を持っている。
それは、素質、直感、才能、洞察力、
インスピレーションといったかたちで現れるが、
これらはすべて、前世で体験したことがある、
という事実を暗示している」と考えていた。
”学ぶとは思い出すことである”と
プラトンやデカルトは主張するのだが・・・(略)』
はい、確かに、思い出しておりますよ。
プラトンへの心酔と、アリストテレスへの妙な反感を。
今の正直な気持ちとしては、
「アリストテレスの考え方をよく知らないくせに、
勝手に反感を持ってごめんなさい」である。
そのうち、アリストテレスについてもいつか勉強しよう。
このどうしようもない反感がわき起こるのを
なんとかなだめつつ・・・。