昨日書いた記事は、『免疫の意味論』の本について。

その続きをもうちょっと書きたい。


この本の中で、「人間はチューブ」という記述が出てきた。


つまり、ゴムホースみたいなものだ。


食物を片一方から入れて、ホース内を経由し、

もう片方から 排泄物が出てくる仕組み。


ただ、普通のゴムホースと違うのは、

ホース内で、いろんなドラマがあるということ。


栄養物を取り入れて、不要物と分ける。

空気中の細菌が入ってきたら闘う、など。


インプットしてチョイスして変換してアウトプット。

生命体は、みんなこれを行っている。


体の中に取り込んだら自分の物といいながらも、

ホースの内側は常に外部の物と接触している形。

そうなると、ホースの外側も内側も、

外部にさらされていることになる。


じゃあ、ホース自体はずっと変わらないかというと、

常に古い部分は解体され新しい物と取り替えられるので、

いつまでも同じというわけではない。


ホースである部分の「自己」と

外部からやってきた「非自己」が、

入れ替わり立ち替わりしている。

「自己」と「非自己」があいまいになってくる。


これを分子レベルで考えると、

「自己」とは仮の姿。ただ一時、分子の一部をまとめているだけ。

入ってきた分子が、たくさんの経験をして、出ていき、

また別の所へ行って、また経験をする・・・の繰り返し。


地球の上で、絶え間なく分子が動き回っている。


地球という星も、まるで

人間ホースの内側が外に出てしまっているようではないか。


地球は、ただ、自分の体表で

分子がくっついたり離れたりするのを

じっと見続けている。


そうして、地球も何かを学んでいるのだろう。


どことどこが仲良くなろうが、どことどこがケンカしようが、

全ては自分の体の一部だからと、

全て受け容れている。


たとえ、それで、地球自体が病気になろうと、

それはそれとして、経験だと思っているのかもしれない。


もし、私の体の中で戦争が始まり病気になっても、

それは私にとって必要な学びなのだろう。


戦いを仕掛ける方も、仕掛けられて応戦する方も、

大きな目で見れば全部、私。


なぜなら、全ては、ぐるぐる回る分子だから。


「寛容を学びたい。」

ただそれだけを願いながら、

地球のようにおだやかな気持ちで、

全てを受け容れてみたい。


そんな気がする。