「人生を推敲する」という考えを思いついて

我ながら素晴らしいなあと自画自賛する。

そして、翌日にはそれを捨てる。


これは、推敲する生き方が悪いと

言っているのではない。


どんな生き方でも、いったん受け容れて、

しかも、それにこだわらないだけ。


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これは、恋多き女性にたとえることが出来そうだ。


たとえば、A氏と出会い、恋に落ちる。

A氏のすべてを知り尽くし、

これで十分だとわかったら、美しく別れる。


次にB氏と出会い、別れ、さらにC氏・・・の繰り返し。


パートナーをとっかえひっかえしているけれど、

相手に振り回されているワケじゃなくて、

その人全てをまるごと十二分に理解して、

飽きたら上手にお別れするだけのこと。


A氏がそばにいるなら、B氏を横目で見ていないで

そのA氏の良いところ悪いところ

全部とことん知り尽くしてみる。

納得すれば、次に行ける。


私はこれを、「ひと」ではなく「生き方」でやっている。


Aという生き方を徹底的に追及する。

理解出来たら、Aに固執しないで、

次はBという生き方を追求する。

それを延々とやり続けている。

(最近では、そのサイクルが猛烈に早くなってきた)


いろんな生き方を見てきてわかったのは、

どんな生き方であれ、正解は無いということ。


どんな生き方をしてもそれは自由。

自分がその場その場で選択すれば良いだけ。


Aさんが、Aというひとつの生き方にずっとこだわっても良いし、

Bさんが、AとBとCなどと生き方を変えても構わない。

変えないから良いというわけでもないし、

変えたから良いというわけでもない。

要は、その人がそのとき充実していればいいだけ。


ただ、人の生き方を見て「それは不幸かも」と思うのは、

自分にはたった一つの生き方しか出来ないのだ、と

自分の可能性を狭めてしまう人。

あるいは、

たくさんの生き方をしてきても、

どれが本当の自分の生き方なのか

わからないと悩んでしまう人。

こういうのって、せっかくの人生、もったいないね。


たったひとつに絞る必要はない。(絞ってもOKだけど)

自分の意志で変更するなら、いくら変えてもOK。

ただ、その場であれこれと目移りするのではなく、

一瞬一瞬を全力投球だ。

そこに気がつけば、あとはずっと楽になれるはず。


恋多き女性のように

生き方多きひと、になってみよう。

今の自分の人生に、OKと言ってみよう。

もし、OKと言えないのなら、

「今ここ」を味わい尽くしていないだけなんだ。