問題:


Aさんが、ある慈善行為をしました。

それを見知ったBさんが、「Aさんは偽善者だ。売名行為だ」

と言いました。

Bさんの言葉は正しいでしょうか、間違いでしょうか。



ミニもるの答え:


Bさんの言葉が正しいか、間違っているかは、

Aさん本人にしかわからない。

そして、真実がどちらであろうと、

Bさんはそんなことを言う必要はない。

(言えば、Bさん自身の評価が下がるだけだから)


もし、どうしても言いたいのであれば、

「Aさんは、●●をしました。結果は○○でした」という

客観的な行為だけを伝えれば良し。


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解説


(以下は、ミニもるの個人的な見解です)


偽善かどうかは、それを行う本人にしか特定出来ない。


どんなに立派な行為であろうとも、

それが「自分自身の良心」を偽っているのなら、

それは偽善である、と私は思う。

私の定義は、”偽善=自分を偽ること”。


自分の良心と裏腹な行為をすると、自分が苦しくなる。

だったら、自分の心の衛生上、やらない方がまし。


自分の良心と行動が完全に一致していたら、

それはどんな行為であれ、偽善ではない。

周りがなんと言おうと、放っておけばいい。


この完全一致というのは、とても重要で、

一致しているとその責任を全部背負えることが出来る。


ここまでは、慈善行為を行ったAさんに関すること。

周りの人にはまったく関係のない話。


だから、私がAさんの行為を見たとしても、

それが偽善かそうでないかは判断出来ないし、

判断する必要はないと考える。

私にとって重大なのは、

Aさんの行為によって、誰かが助かったかどうか。

もし結果オーライなら「Aさん、良いことしたね~」、

もしうまくいかなかったら「残念だったね」と思うだけだ。


ではひるがえって、

Aさんを非難するBさんの立場から検証してみる。


他人の行為の動機は目に見えないので、

それを目撃した人は、

自分の普段の行動と照らし合わせて

他人を評価する傾向がある。


Aさんが人助けをした。

それを見たBさんはそれを自分と照らし合わせるだろう。


『自分だったら、そんなことは普段は行わない。

 もし、するとしたら、

 それは”自分のことを良く見せたいときだけ”だ。

 つまり、Aさんは、自分を良く見せたいのだろう。

 だから、Aさんは偽善者だ。』

と、脳内で判断する。


そうなると、Aさんの行動を見たBさんの結論は、

Aさんの心の動機を正しく見定めたのではなく、

Bさん自身の普段の行いの動機をさらけ出しただけなのだ。


だれかを追求すると、

結局は自分に返ってくる、というのはそういうこと。


だから、「Aは偽善者だ」と叫ぶBさんがいたら、

それを見たCさんは、

「Aさんが偽善かどうかはわからないけど、

 もしBさんが同じ行動をしたら、

 それは偽善なのね。

 だって自分でそう言っているもんね。」

と思えば良いだけなのだ。


最近、テレビでいろんな人がバッシングにあっている。


偽善者だの、売名行為だの、大人げないだのと

ターゲットに向けて口を揃えて大騒ぎだ。


私はそれを見て、

「ふ~ん、この責めている人たちは、

 自分のことをそう思っているんだねえ・・・」

と評価している。