問題:
Aさんが、ある慈善行為をしました。
それを見知ったBさんが、「Aさんは偽善者だ。売名行為だ」
と言いました。
Bさんの言葉は正しいでしょうか、間違いでしょうか。
ミニもるの答え:
Bさんの言葉が正しいか、間違っているかは、
Aさん本人にしかわからない。
そして、真実がどちらであろうと、
Bさんはそんなことを言う必要はない。
(言えば、Bさん自身の評価が下がるだけだから)
もし、どうしても言いたいのであれば、
「Aさんは、●●をしました。結果は○○でした」という
客観的な行為だけを伝えれば良し。
****
解説
(以下は、ミニもるの個人的な見解です)
偽善かどうかは、それを行う本人にしか特定出来ない。
どんなに立派な行為であろうとも、
それが「自分自身の良心」を偽っているのなら、
それは偽善である、と私は思う。
私の定義は、”偽善=自分を偽ること”。
自分の良心と裏腹な行為をすると、自分が苦しくなる。
だったら、自分の心の衛生上、やらない方がまし。
自分の良心と行動が完全に一致していたら、
それはどんな行為であれ、偽善ではない。
周りがなんと言おうと、放っておけばいい。
この完全一致というのは、とても重要で、
一致しているとその責任を全部背負えることが出来る。
ここまでは、慈善行為を行ったAさんに関すること。
周りの人にはまったく関係のない話。
だから、私がAさんの行為を見たとしても、
それが偽善かそうでないかは判断出来ないし、
判断する必要はないと考える。
私にとって重大なのは、
Aさんの行為によって、誰かが助かったかどうか。
もし結果オーライなら「Aさん、良いことしたね~」、
もしうまくいかなかったら「残念だったね」と思うだけだ。
ではひるがえって、
Aさんを非難するBさんの立場から検証してみる。
他人の行為の動機は目に見えないので、
それを目撃した人は、
自分の普段の行動と照らし合わせて
他人を評価する傾向がある。
Aさんが人助けをした。
それを見たBさんはそれを自分と照らし合わせるだろう。
『自分だったら、そんなことは普段は行わない。
もし、するとしたら、
それは”自分のことを良く見せたいときだけ”だ。
つまり、Aさんは、自分を良く見せたいのだろう。
だから、Aさんは偽善者だ。』
と、脳内で判断する。
そうなると、Aさんの行動を見たBさんの結論は、
Aさんの心の動機を正しく見定めたのではなく、
Bさん自身の普段の行いの動機をさらけ出しただけなのだ。
だれかを追求すると、
結局は自分に返ってくる、というのはそういうこと。
だから、「Aは偽善者だ」と叫ぶBさんがいたら、
それを見たCさんは、
「Aさんが偽善かどうかはわからないけど、
もしBさんが同じ行動をしたら、
それは偽善なのね。
だって自分でそう言っているもんね。」
と思えば良いだけなのだ。
最近、テレビでいろんな人がバッシングにあっている。
偽善者だの、売名行為だの、大人げないだのと
ターゲットに向けて口を揃えて大騒ぎだ。
私はそれを見て、
「ふ~ん、この責めている人たちは、
自分のことをそう思っているんだねえ・・・」
と評価している。