昨日のブログの中で、
「相手は自分の鏡」と書いたが、
それはどんなことにも当てはまる。
たとえば、この間のミャンマーの話。
あれは、お金持ち側の官僚と、
貧民層のぶつかりあいだけれども、
これも鏡になっている。
貧民層の人々からすれば、
官僚側の暮らしぶりが許せない。
あんなにたくさん持っていて許せない。
こっちはこんなにも苦しい。
こっちにもよこせ、という飢餓感。
富裕層の官僚からすれば、
お金がもっと欲しい、もっと欲しい、
もっと搾取して、楽をしたい、
そしてそれをずっと所有しておきたい
持っていないと不安で苦しい、という飢餓感。
物質的には、「持てる者」と「持たざる者」だが、
心の中は同じ飢餓感。
たとえば、仮に、
「王子と乞食」の童話のように
彼らの生活を取り替えてみたらどうだろうか。
貧民側が急にお金持ちになる。
そうしたら、彼らはそれを、
貧乏になってしまった元富裕層に配るだろうか、
配らないだろう。
そして、元富裕層は、現富裕層に反発するだろう。
立場を取り替えてみても、やることは一緒。
心根は同じ。だから、鏡。
この悪循環を断ち切るにはどうしたらいいか。
それは、お互いに
「足るを知り、要らない分は、他へ回す」こと。
心の平安は、これしかない。
(ミャンマーのこと、と書いたけれど、
日本だって例外ではない。)