ネットサーフィンをしていたら、

こんな言葉を見つけた。


「暗いと不平を言うよりも

  すすんであかりをつけましょう」


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文句を言うのは簡単だ。


あの人は何もしてくれない。

自分は愛されていない。

あそこが汚い。等々。


そうして勝手に、イライラ、ムカムカ。


だったら、自分でやればいい。

自分から愛せばいい。

自分が片づければいい。


自分が動かないでいて、

人を動かそうとするから

不平不満がたまるんだ。


不平不満を感じたら、

まず自分から動き出そう。


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そして動いてみても、

どうしても一人では無理だったら

思い切って助けを求めてみよう。


暗いから困って、

電気を付けようとしても

スイッチが高いところにあったとする。


背伸びしても

ジャンプしても無理。

やることはやったけど

スイッチに届かない。


そんなときは、

誰かにハシゴを借りるとか、

肩車に協力してもらうとか、

あるいは自分が台になって

誰かに乗ってもらい

代わりにスイッチを押してもらうとか。


ひとりでは無理でも、

数人で出来ることもある。


暗い暗いと不平を言っている暇があったら

前向きな行動してみよう。


努力次第で、

そのうち、きっと、明るくなるだろう。


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上記の記事をUPしてから、

また色々と考えてみたこと。


上の、「すすんであかりをつけましょう」

というのは、

個人の内面の話だと気が付いた。


他人のことに口出ししちゃ、いけないんだ。


たとえば、

世相が暗いから何とかしようとして

外部に向けて行動すると、

それは一歩間違えば、

他人への押しつけや

暴力へと発展してしまう。


某国が他の国を良くしようと内政干渉に走ったり、

オウム真理教みたいに

ひとりよがりな意見で暴走してしまう。


「相手が暗そうだから、

 自分が何とかしてやろう」という行動は

自己満足であり、相手にとっては大きなお世話だ。


だから、あかりをつけようと努力するのは、

あくまでも自分個人の問題であって、

他人のあかりをつけてあげるという話ではない。


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中には、自分の内面が暗いから、

「誰か電気を付けてくれ」と言う人もいるだろう。


その人が困っているからと助けてあげたくなるが、

助ける前に本当にやって良いのかどうかを

一考する必要もある。


一度誰かがやってあげると、

その人は

自分で努力をしなくなってしまう場合もあるからだ。


次も誰かがつけてくれるだろうと。


誰もつけてくれないと、怒りや孤独を感じたりする。

自分では何もしないのに。


それでは、進歩がない。


あるいは、こちらが善意でつけてあげても

余計なお世話だと怒られたりする。


つけてあげたのに、お礼を言われなかったら

それはそれでムカッときたりすることもあるだろう。


だから、自分のあかりは自分でつけよう。


その明かりで、他の人を照らせばいいんだ。