世の中にはたくさんの基準があって、

「強いか弱いか」「正しいか正しくないか」

「富んでいるか貧しいか」「本当か嘘か」

「偉いか偉くないか」等々、色々な見方がある。


でもそれは人によって基準が違うので、

100万円を安いと思う人もいれば高いと思う人もいる。


軽くたたかれたことを暴力だと思う人もいれば、

大したこと無いと思う人もいる。


みんな自分の価値観で生きている。


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私にとっての基準。最近決めた。

それは、「愛があるか無いか」。


自分の行動も相手の行動も、

そこに愛があるかないかで決めることにする。


自分の行動に愛があれば、良しとする。

自分の行動に愛がなければ、反省する。


相手の行動に愛があれば、感謝する。

相手の行動に愛がなければ、ただ悲しく思う。

(相手の行動に愛が無くても、相手を責めない。)


ただ、愛というのは難しい。

私の思う愛は、常に「他者へのおもいやり」のことだ。

「自分を甘やかす愛」なら、それは愛ではない。


それから、厳しい愛もある。

ただ優しいだけでは愛とは言えない。

その人を真剣に思うからこそ

強く叱咤する愛もある。


本当の愛を見分けるのは、本当に難しい。


それでも私は、そこを基準にする。そう決めた。


愛を見抜けなかったときは、

それは私がまだ未熟な証拠だ。

反省して、次に生かすことにする。


そうやって、生きていこうと思っている。


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愛を与えたり与えられたりしても

全ての結果が自分にとって

良い方向へ行くとは限らない。


思わぬ事態に転ぶこともある。


たとえば、これは絶対相手に良い薬だと思って与えたのに、

相手が逆に苦しんでしまい、うらまれたとしよう。


それは、とことんあやまる。

相手を苦しませ、怒らせてしまったのだから。


そうして、自分のことも反省する。

自分のしたことは、愛から出たのかそうでなかったのかを。


愛から出たのなら、もう、自分のことは許そう。

でも、愛でないのなら、それは本当に自分の責任だ。

とことん、償うしかない。


そう考えると、これからの自分の言動には全て

注意が必要になってくる。


究極の自己責任。


愛を基準にすると、すごく大変だ。重圧だ。


本当に出来るのか?

・・・でも、そういう風に生きたいんだ、私は。

これから、ずっと。