世の中にはたくさんの基準があって、
「強いか弱いか」「正しいか正しくないか」
「富んでいるか貧しいか」「本当か嘘か」
「偉いか偉くないか」等々、色々な見方がある。
でもそれは人によって基準が違うので、
100万円を安いと思う人もいれば高いと思う人もいる。
軽くたたかれたことを暴力だと思う人もいれば、
大したこと無いと思う人もいる。
みんな自分の価値観で生きている。
****
私にとっての基準。最近決めた。
それは、「愛があるか無いか」。
自分の行動も相手の行動も、
そこに愛があるかないかで決めることにする。
自分の行動に愛があれば、良しとする。
自分の行動に愛がなければ、反省する。
相手の行動に愛があれば、感謝する。
相手の行動に愛がなければ、ただ悲しく思う。
(相手の行動に愛が無くても、相手を責めない。)
ただ、愛というのは難しい。
私の思う愛は、常に「他者へのおもいやり」のことだ。
「自分を甘やかす愛」なら、それは愛ではない。
それから、厳しい愛もある。
ただ優しいだけでは愛とは言えない。
その人を真剣に思うからこそ
強く叱咤する愛もある。
本当の愛を見分けるのは、本当に難しい。
それでも私は、そこを基準にする。そう決めた。
愛を見抜けなかったときは、
それは私がまだ未熟な証拠だ。
反省して、次に生かすことにする。
そうやって、生きていこうと思っている。
****
愛を与えたり与えられたりしても
全ての結果が自分にとって
良い方向へ行くとは限らない。
思わぬ事態に転ぶこともある。
たとえば、これは絶対相手に良い薬だと思って与えたのに、
相手が逆に苦しんでしまい、うらまれたとしよう。
それは、とことんあやまる。
相手を苦しませ、怒らせてしまったのだから。
そうして、自分のことも反省する。
自分のしたことは、愛から出たのかそうでなかったのかを。
愛から出たのなら、もう、自分のことは許そう。
でも、愛でないのなら、それは本当に自分の責任だ。
とことん、償うしかない。
そう考えると、これからの自分の言動には全て
注意が必要になってくる。
究極の自己責任。
愛を基準にすると、すごく大変だ。重圧だ。
本当に出来るのか?
・・・でも、そういう風に生きたいんだ、私は。
これから、ずっと。