そこで、一旦、納得するが、またまた不安になる。

だが、その様な思いで寄付することは

善行と言えるのか?

自分の欲(天国に入りたいという欲)のための寄付は、

動機としてよくないのではないか?

「天国へ行きたい」という気持ちをも

捨てた方が良いのではないか?

死後、自分の行き先が天国だろうと地獄だろうと、

しっかり判定をしてもらって、

それをありのまま受け入れる気持ちを持つことが

大事なのではないか。

善く生きる。他人(ひと)のために。

見返りを一切、期待せずに。

与えられることを待つのではなく、

ひたすらに自分の心をきれいにする。

そのスタンスで、今後も、

自分の出来る範囲でやっていこう、と思う。

(そりゃあ、全部出来たらすごいことだろう。

 あくまでも、出来るだけ。無理しないでやる。)

で、結局、その小銭問題なのだが、

自分の心の中にもお伺いをたててみた。

すると、こんな答えが立ち上ってくる。

そもそも、「人を助けたこと」と「小銭を拾ったこと」を

つなげるところに無理がある。

1.人を助けたなら、それで満足する

1.お金を得たなら、感謝する

各々、1つずつの出来事として考えれば

見返りを期待することもない。

見返りとは、過去にこだわること。

それを止めればいいこと。         ”

そうか。Aの物事と、Bの物事を

別個にとらえればいいのか。

ああ、すっきりした。

もう大丈夫。

(この結論に至るまで、10日もかかった。)