春をひさぐ⑧愚の代償
この老婆が
わずかな金の為に
4つの娘を騙し吉原に売り飛ばした
母か・・・。
そう思っていた平次だが、
様子がどうもおかしい・・。
その老婆は
平次がここに来た事を
心底、歓迎してくれた。
そして、満面の笑みで
「娘を知っとるのかね?
さ、さぁ
奥へお入りよ。」
と、
お茶や茶菓子を持ってきて
部屋の奥に座らせてくれた。
これが
わずかな金を手に入れる為に
娘を騙した
母の態度だろうか?
不思議に思いつつ
老婆に話しを聞いていった。
老婆は訛(なま)りがひどく
どうやら耳も少し悪いらしい。
それ故に
何を言っているのか
分からない事も多かったが、
おおよそ
花扇と同じ事を言った。
ある時、
見慣れぬ男がやってきた事。
この子が江戸に行けば
白いおまんまを食べ、
綺麗な着物を着れて
お金もたくさんもらえるんだと
聞かされたこと。
娘を神社に連れて行き
「江戸で幸せになれ。」
と言った事。
そして、
この老婆は
花扇が江戸で幸福になっていると
信じて疑っていない様子だった。
「そうか・・・。」
平次はようやく理解した。
この母は
女衒(ぜげん)に騙されたのだ・・・。
江戸に行けば
あの子は幸せになれる。
こんな雪国で
食うや食わずの生活をするより
お江戸で華やかに過ごす方が
あの子は幸せになれる。
お江戸に奉公に出れば
幸せになれるんだ、
と
聞かされたのだ。
娘が本当は何をしているのか
それすら知らないのだ。
ただ、奉公に出ている。
としか思っていないのだ。
きっと偉い殿様の元で
働いているんだと
思っているのだろう。
そして幸せになっていると。
それを信じている。
頑なに
そう信じているのだ・・。
当時この土地では
吉原の存在自体、
ほとんど知られていなかったのだろう。
女が身体を売る場所である事を
この老婆は
今も知らずにいるのだ・・。
女衒(ぜげん)は
そんな事情までは、
この老婆に
話していないに違いない。
この母が
無知な事を良いことに、
女衒は騙したのだ・・。
娘の行き先が、
吉原と言う売春街である事も・・・。
そこが、
欲望、
嫉妬、
怒り、
金への執着・・・。
そう言ったものが渦巻く
魑魅魍魎の世界であることも・・。
吉原でどんなに稼いでも
ほとんど全てを楼主に搾取され、
金が貯まるどころか
借金地獄に陥る者が多い事も・・・。
都合の悪い事は
何一つ伝えていないに違いない。
平次は事の真相を理解した。
平次がここに来るまで
抱えていた怒りは、
いつしか憐れみへと変わっていた。
この母が悪い訳ではない・・。
複雑な心境の平次をよそに、
老婆は笑顔で包みを持ってきて
中を見せてくれた。
中には
4両とちょっとの銀が入っていた。
老婆は嬉しそうに語った。
娘を幸せにしてやると
言ってくれたその男は、
自分にも3両もくれたのだと。
その男に
とても感謝しているのだと・・。
そして、
その3両をずっと大事にし、
機織りをして稼いだ
僅かばかりの小銭や銀を足し、
ようやくここまで貯めたのだと・・・。
娘が帰ってきたら
このお金で
着物を買ってやるんだと・・。
満面の笑みを浮かべ、
老婆は語った。
平次は言葉を失った・・・。
この老婆に
真実を語るべきではない・・。
そう思った。
この老婆は
20年もの長い間、
娘が幸せでいる事を
信じてきたのだ。
花扇が身を売って
金を得ている事を
この老婆は知らないのだ。
それを覆す事が
どれほど酷な事か・・・。
この老婆に
真実を語るべきではない・・。
平次はそう思った。
続く。