吉原の遊女・花扇の物語

春をひさぐ
 

 

 

愛する人に何を残しますか?

 

 

春をひさぐ⑥長い夜に

 

どれくらい眠っていただろう?

 

花扇(かせん)は

いつの間にか眠っていた自分を恥じた。

 

ここ吉原では、

女郎が気を遣る(絶頂に達する)のは

恥(はじ)とされていた。

 

「お客を満たすのが女郎の仕事だよ。

女郎の方が気を遣るなんて、

恥だからね。」

と、

育ての親である遣り手婆に

何度も言い聞かされていたのだ。

 

心の葛藤に疲れ果てたとは言え、

花扇は、

平次より先に

眠ってしまった自分を責めた。

 

 

 

だが、ふと気づく・・・。

 

先に眠ってしまう・・・。

たったそれだけの事なのに・・。

と。

 

「私は、どれほど多くの縄で

心を

縛り付けられているのだろう?」

 

花扇は自分の運命を恨んだ。

 

心の底から、

幸福を味わう事など、

自分には出来ないのだ・・・。

 

そう思うと花扇は

やるせない気持ちになった。

 

朱に塗られた煙管(きせる)に

火をつけ、

「どうせ、あちきぁ幸せになれん・・。」

独り、ぼそりと呟いた。

 

 

 

「そんな事はない。」

平次が呟く。

 

「起きとった?」

 

「ああ、さっきまでずっと、

お前の寝顔を見ていた。

夢でうなされとった。」

 

「うなされてた?」

 

「ああ・・。」

 

「・・・・。」

 

 

平次は、

花扇が何に苦しんでいるのかが

気になった。

 

花扇は、

自らの心を根底から支える何かが、

欠けているのだ・・。

 

やはり、親に売られたと言う過去が、

花扇を苦しめているのだろうか・・・。

 

 

 

 

平次は

女心と言うものがよく分らない。

 

平次は

もともと女遊びが

好きな方ではないので、

花扇以外の遊女とは遊ばないのだ。

 

花扇のことは以前、

自分の店の客を接待する為に

吉原に来た時、

花扇の花魁道中を見て

一目惚れしてしまったのだ。

 

しかし、

花扇を身受けするほど

金に余裕がある訳でも無い。

 

身受けとは、

大金を払って、

遊女の身柄を引き取る事を言う。

 

花扇ほどの花魁になると、千両。

現代の価値にして

1億円以上の金がかかる。

 

平次にとって到底無理な相談だ。

 

平次の財力では

季節が変わるごとに

花扇に会いに来るのが精いっぱいだ。

 

「花扇の苦しみを

分かってやる事は出来ないが、

せめて、一時でいい・・。

幸福を味あわせてやりたい・・・。」

平次はそう思った。

 

 

優し気な

そして切なげな平次の眼差しに

花扇はまた

平次に抱かれたい欲求に駆られた。

 

抱かれれば抱かれるほど、

焼け付くような苦しみが

襲ってくることを知りながら・・・。

 

まるで、

喉の渇きを潤そうと

塩水を飲む様なものだと

知りながら・・・。

 

それでも・・・。

 

花扇の身体は

平次を求めてしまうのだ。

 

しかし、再び

あの声を聞くかもしれない

と言う恐怖から、

花扇は平次に

ねだる事が出来なかった。

 

 

 

花扇はぼそりと呟いた。

 

「母は嘘つきでありんす・・・。

『お江戸に行けば、

必ず幸せになれる。』

などと・・・。」

 

「そんな昔の事を覚えているのか?」

 

そう聞かれ、

花扇は幼少期の頃の事を

平次に話した。

 

ある時、

見慣れない男が家に来て

両親と何かを話していた事。

 

その後

ある神社に連れていかれ、

母から

「江戸に行って幸せになれ。」

と言われた事。

 

男と長い旅路の末、

吉原に来た事。

 

そして、

他の禿(かむろ)たちから、

「お前は3両ほどの

はした金で売られたのだ。

お前は親に騙されたのだ。」

と聞かされた事・・・。

 

 

 

花扇は話している途中で

涙が止まらなくなり

平次の胸で泣き続けていたが

やがて泣き疲れて眠りに落ちた。

 

 

平次は

花扇の寝顔を見ながら思った。

 

「花扇は親に騙された事で、

人を信じられなくなっちまったのか・・。」

 

 

続く。