私が子どもの頃(半世紀前)、あるいは我が家の子どもたちが小学生の時は、父兄参観日と呼ばれ、日時も学校からの通達だった。
でも、最近は、学校公開と呼ぶらしい。しかも、何日かあり、時間もその期間であれば一日中OK。
孫ができて楽しいのは、いろいろな新たなシステムにも直に触れられることかもしれない。

先週、興味津津で孫の学校公開に夫と出かけた。
1年生になったばかりの孫の学年は3クラス。ひとクラス34人だった。
驚いたのは、担任の他に補助の先生が二人もいることだった。
授業は算数だった。担任の先生は、絵を用いて引き算を教えている。
たまたま、一緒になった息子は、
「これぐらいの子に数の概念を教えるのは大変だなあ」と
いたく感心したように私に囁く。
「はぁ^」と答えながら、私は孫のそばにいる補助の先生が、孫が座っているものの、からだをゆすり、机のもので遊ぶ度に注意しているのが気になる。
行儀が悪いのが気になるのではなく、なんか型にはめようとしているようで・・・嫌だなあというのが・・・私の感想だ。
もちろん、歩き回る子は皆無。
後から、補助の先生と話す機会をもった時、30人以上の低学年クラスには、1学期の間補助の先生が入ると聞いた。ひょっとしたら、時たま耳にする学級崩壊を防ぐ意味で、低学年の間にきちんとした授業態度を身につけさせる目的があるのかもしれない。
先生の言葉使いも丁重、挙手して答える子どもの言葉使いもどこか決められているような感があった。
算数の授業もとても丁重にすすめられる。正直、ちょっと退屈じゃないか?と思ってしまうほどだ。
6、7歳の子どもがたとえ45分にしろ静かに座り、集中するのはたぶんとてもむつかしい。私は、小学校のときとても退屈だった。
我が家の息子もまた、退屈していた。
そして、孫も・・・。

帰途、孫のママに会った。
真面目な彼女は、教師に孫の落ち着きのなさを指摘され、悩んでいるようだった。落ち着いている子どもがどれほどいるのか・・・わからないけど。たぶん、目立つんだろう。
私の答えは、
「パパの子どもの時よりは、ずっといいよ。彼は少なくとも授業中に服を脱いで、机の上に積み重ねたりはしないし、教師が戸惑う突飛な質問もしない。私の子どもの時のように、救急車の音がしたら、窓まで見に行かない。ちゃんと座っているもの。少しづつ学ぶから大丈夫」

学校生活にある種の型は必要だけど、なんかとても息苦しい気がした授業参観だった。



昨年、糸井重里氏のインタビュー記事で彼女のことを知った。
すぐに本をネット注文したものの、なかなか読めずにいたが、やっと読み終えた。
難病を患う大野更紗さんの一種の闘病記なのだが、彼女のリズム感溢れ、ユーモアたっぷりの文章に引き込まれる。
書かれていることは、とても重い内容なのだが、素直に心のなかに浸透していく。
やっと、病名診断がついたとき、友人たちから「これ以上手伝いはむつかしい」といわれ、最後には、人の気持ちややさしさに頼るのではなく、システムを頼るしかない、と書く彼女の心情を思うと軽やかな文章だからこそ、なお痛みが伝わる。
彼女は、「書く」という行為を支えにしているのだろう。
読み終えて、我が家の子どもたちにも是非読んでもらいたいとさっそく彼らにメールを出した。
彼らの感想が楽しみだ。
困ってるひと/ポプラ社
¥1,470
Amazon.co.jp


『十三人の刺客』の三池崇史監督作品ということで見に行った。

『藁の楯
被害者の遺族が10億の懸賞金をかけて、犯人の殺害依頼を全国紙に掲載するという発想もおもしろそうだった。
九州から東京までの犯人誤送中のさまざまな襲撃もあきさせない。犯人役の藤原竜也がとてもいい。
そういえば、『十三人の刺客』でも、狂った殿様役のスマップの稲垣吾郎がとてもよかったのを思い出した。
狂人というのは、役得なのかもしれない。

たぶん、小説では、それぞれの主人公ももっと深みがあるのだろうと思う。映画は、ダイジェスト版みたいなもので、ある意味別物だからしかたないかな。

agneauさんのブログ を読んで読んでみたくなり、読んだ一冊。
ひさしぶりに短編の小説を読んだせいもあり、あっという間に読み終えた。
テーマは、「食と恋」。女性の大好きなテーマかも、もちろん私も例外ではない。
幸田文さんの細やかな文章は際立ち、よしもとばななは、初体験だったけど、こんなロマンティックな話を書く人なんだ・・と感心した。山田詠美は、彼女らしく。できれば小川洋子も入れてほしかった。
女がそれを食べるとき (幻冬舎文庫)/幻冬舎
¥630
Amazon.co.jp


週末、娘に誘われて横浜パシフィコで行なわれていたアフリカフェスティバルへ出かけた。
もちろん、日帰りOKの場所だけど、2日続けて聞きたいセッションがあったので、1泊2日のミニ旅とした。

だらだらと出かけた最初の日は、横浜中華街での遅めのお昼兼夕飯からはじまった。その後、大急ぎで彼女お目当てのセッションへ。
私は、タイトルで違うセッションを選んだ。
私の選んだセッションで、思いもかけない出会いをした。
NGOのプレゼンターの一人として壇上に登場したのが、娘の幼なじみであり、赤ちゃんの時何度も預かったこともあるMちゃんだったのだ。
プロジェクターに彼女の名前を見て、驚くとともに壇上で活動報告する彼女を見て、とても嬉しかった。
セッション終了後、彼女に声をかけた。
彼女もとても驚いた様子だった。
ちょうど、娘も早めにセッションを抜け出したので、娘と彼女も十年ぶりぐらいの再会を果たした。
大きくなって、同じ分野で精一杯働く二人の娘を見ていたら、とても誇らしく、そして幸せな気分になった。

その後、私たちは、お茶を飲むのにインターコンチネンタルホテルのカフェへ。
アフリカ開発会議でアフリカ各国の首脳がそこに集結しているらしく、警備がとても厳しかった。
まあ、ぼわぁ~んとした私たちには、お声もかからなかったけどね。
カフェは、アフリカの国にいるかのような雰囲気だった。もっとも、カフェにいるアフリカ人は、各国のエリート中のエリート。上質のスーツ、香る高級ブランドの香水、フランス語や英語の会話。
私が出会ったやさしい笑顔のアフリカ人たちとは世界が異なる人たちだった。
この人たちが、これからのアフリカを担っていくのだなあとカフェからの素晴らしい夜景を眺めながら思った。