遺された日記 | 風を感じて

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アラカンに突入。セカンドライフ、ぼちぼち行こか。

2月に亡くなったおじじ(義父)が遺した日記を読んでいます。

亡くなるまでの直近10年分の日記を読破しました。

日記は65歳で完全リタイアしてから書き始めて、23年分23冊あります。


筆まめでメモ魔のおじじは事細かに毎日の出来事を綴っていました。

どこで誰に会ったとか、何を食べていくら払ったかとか、些細なこともメモ代わりに日記をつけていたようです。

勤めていた銀行の80周年記念の特別手当でモンブランの万年筆を購入し、それでずっと日記を書いているということも日記に書いてありました。


特に書き留めておきたいことは、1ページにびっしりと、万年筆でありながらまったく修正なしで、思ったことをそのまま正確に文字にしているようです。

おじじは弔辞や祝辞など人前で話すことが得意で、原稿を30分ほどで書き上げます。机の引き出しに書き留めた原稿が山のように遺っていました。

娘の結婚の祝辞や貫太の弔辞もおじじが書いてくれました。


日記にはおじじの日常がありました。


ある日タクシーで帰宅したとき、降車後に財布をタクシーに置いてきてしまったのに気づき、あわててタクシー会社に電話すると、そのタクシーの運転手さんがわざわざ家まで財布を届けてくれたので、その財布に入っていた5千円札をお礼に渡したこと。


散歩先の公園で乾布摩擦をするのが日課だったおじじは、たまたま奈良から来た「歩こう会」の団体さんから、元気に乾布摩擦を行っているおじじな姿を見て、健康の秘訣というテーマでその団体さんの前で即興スピーチを頼まれたこと。


中学の同級生とよく近所の喫茶店でつるんでいて、独り暮らししている同級生の女の子(もう80過ぎてます)のマンションに行ってみようと、アポ無しでピンポン鳴らして突撃訪問したこと。中二か。


おじじの散歩コースの途中にあるお宅のおばさんと毎日顔を合わすうちに、散歩の休憩にとそのお宅に寄って世間話するようになったのですが、おじじが体調崩してしばらく散歩を休んでいたら、そこのおばちゃんが心配して電話をかけてきてれたこと。


読書が好きで、毎年その年の日記の最初のページに読んだ本のタイトルと作者の一覧を書き出していて、多い年は100冊を超える本のタイトルが書かれていました。3日に1冊ほどのペースで読んでいることになります。

幅広いジャンルを読むおじじですが、一番は時代小説が好きだったようです。

全50巻を超える時代劇小説を読了して、作者直筆サイン入りの認定証をもらったらしいのですが、その認定証は、未だに見つかっていません。

どこにしまったのやら。


日々の些細なことがいちいちおじじらしい。

そして貫太のこと、娘の結婚、ひ孫の誕生など家族のことも沢山書いてありました。

義弟の2回目と3回目負債事件のことも多く書かれており、「これは自らの血文字である」と赤字で書いている日があるくらい、改めて強い言葉で綴られたおじじの心の叫び、憤り、悲嘆、失望、無念さがうかがえます。

3回目のときはあまり寝れなかったみたいです。

本人の前では言えませんが、この過度のストレスがおじじの寿命を短くしたのは間違いないです。


80を超えてからは、兄弟、親族、仲の良い友達が1人、2人と亡くなっていく中で、終活や遺される子孫たちに向けた言葉も多く見られるようになりました。


ことあるごとに書かれていたのは、自分の死に方について。

3日臥せてピンコロリンと死にたいとありました。

そして延命処置はしないこと。

ほぼその通り、意識が朦朧となってから2週間入院して旅立ちました。入院前までLINEや会話していたので、まさに希望通りだったんじゃないかと思います。本人は死んだことすらわかっていなかったかもしれません。


ボクも60を迎えて、少なからず残りの人生の生き方や死について考えることが多くなりました。

さすがにロス五輪は観られると思いますが、その先の先の先の五輪やリニア新幹線や故郷を通るだろう北陸新幹線に乗れるかなあと、今まで当たり前のように続くと思っていた将来の社会にもう自分はいないかもしれない、なんて思うことも多くなってきました。

おじじの日記に綴られた死生観はこれから高齢にゾーンに入っていくだろうボクたちの心構えになる気がしました。


ここ何年かの日記には米寿を迎えたら、父親の50回忌と祖父の100回忌を行いたいと、これは日記だけじゃなく、生前によく話していました。この法事が生きているうちの自分の使命という強い思いをもっていたようです。


そして一緒におじじの伯母にあたるコマさんという女性の供養も行いたいとありました。

コマさんは京都の花街で芸者として働いて祖父一家の家計を支えてくれたおじじ家の恩人であり、一生独身で若くして亡くなったとも。

今日我々が幸せに暮らしていけるのもそんな祖先の苦労があってのこと、その恩を忘れてはならないと一緒に卒塔婆供養をすると書いてありました。

ご先祖さまをとても大切に思うおじじでした。


この法事におじじの米寿とダイヤモンド婚も兼ねてお祝いしょうと思っていたのですが、その前に突然におじじは旅立ってしまいました。

先日、おばば、子、孫、ひ孫でおじじの遺志どおり、百箇日に合わせて、おじじの父親の50回忌と祖父の100回忌、そしてコマさんの供養の法要を執り行いました。

米寿とダイヤモンド婚のお祝いはできなかったですが、きっとおじじも喜んでいるやろ。


日記に書かれた子孫への言葉は、

「本を読め」

「記憶ではなく記録せよ」

です。


息子は読書好きで、娘は10年日記を毎日書いています。子供には引き継げなかったけど、孫にはしっかり伝わってるで!