2024年 | 風を感じて

風を感じて

アラカンに突入。セカンドライフ、ぼちぼち行こか。

2024年は元日早々から震災や事故が相次いで波乱の幕開けになりましたね。


羽田空港の事故では、中継であの炎を見てたら、多くの人が逃げ遅れたのではないかと心配しましたが、すぐに全員脱出の速報が流れてホッとしました。

あの状況下でよく全員が脱出できたものだと、決して奇跡なんかではなく、日頃の乗員のみなさんの訓練の賜物だと思います。

普段は笑顔で客室サービスに徹するCAさんたちは、危機に陥ると、一瞬で救命・保安員としての顔に切り替わるプロフェッショナルなんですね。


一方、元日に起こった能登半島地震。

娘一家は全員京都にいたので大丈夫でしたが、3日に婿っちが金沢に戻ると家中のあちこちで、ものが落ちて、食器類がいくつか割れたり、引き出しが開いて中のものが飛び出していたものの、重大な被害では無さそうです。

娘は婿っちのスマホの生中継を見ながら、不安定な鴨居にかけた洗濯物だけ何故か地震でも落ちなかったことにツボっていました。

でも孫っちが金沢にいてなくて本当に良かった。


学生時代の友人が内灘に暮らしていて、LINEで連絡してみたら、家族や家は大丈夫でしたが、上下水道の断水とあちこち道路の隆起や電柱の倒壊なともあって大変とのこと。


ボクの実家のある若狭湾沿岸にも津波警報が発令され、家も海も近いので、高台まで避難したそうです。

兄夫婦は楽観的に考え、のほほんとしていたらしいのですが、帰省していた甥っ子、姪っ子にリテラシーが低い!と怒られ、母を連れて一緒にクルマで避難したそうです。

でも夜8時くらいには家に戻ってきてご飯を食べていました。

津波は何ともなかったのですが、老いては子に従えとはよく言ったものです。


わが家は嫁さんが元日から仕事で、ボクと娘は家にいました。婿っちと孫っちは近くの踏切まで電車を見に行っていました。

最初の地震で少し揺れたあと、緊急地震速報が流れ、身構えていると、まあまあ大きな横揺れがやって来ました。

身重の娘は床に伏せ、ボクは娘の傍で徐々に揺れが大きくなってこないかを警戒しつつも少しオロオロ。

結構長い時間揺れました。

壁に掛けた飾りスプーンがやたらカタカタと鳴って、そのうち1個が落下しただけ。

外で電車を見ていた孫っちは地震なんてなんのその、元気に帰ってきました。


いろんな不安や嫌なことも、孫っちの笑顔や仕草を見ると全部すっ飛びます。

多くの方が亡くなり、被災し、未だに被害の全容把握もままなりませんが、被災地にもこの笑顔を届けたくなります。


そんな波乱な年明けになりましたが、昨日から仕事始め。

「ザ・昭和」なうちの会社。仕事始めの前日の4日は毎年、関連会社も含め昨年入社した新人と社長はじめ幹部(課長になればもう幹部です)全員で伊勢神宮に参拝に行くという恒例行事があります。

今年は全員で20名ほどで参拝に行きました。


喪中でもお伊勢さん参りは問題ないみたい。

朝4時過ぎに起きて、正式参拝なのでネクタイ締めて、始発に乗って大阪鶴橋に集合。

そこから全員で近鉄特急で宇治山田まで。

眠い。


五十鈴川を渡り内宮でお参り。

三が日を過ぎましたが、多くの参拝者がひっきりなりしに訪れます。

神殿の近くまで行き、全員でお祓いを受け、神楽奉納に参列して帰りました。



珍しい赤福の白餅黒餅を土産に買いました。

白は白小豆、黒は黒糖のあんこです。

ノーマル赤福とはまた違う味わいで美味しかった。


そして近鉄では辰の置物を頂きました。

今年は嫁さんと産まれてくる孫っち2号が年女年男です。


良い一年になりますように。