優しさの形って
人それぞれなんだなって思ってるんだけど、
自分の優しさのつもりで出したカタチが
『正解だったのかな…』
って考えると
途端に分からなくなるよなぁって😔
私の大切な人たちが
同じ時に同じようなことで考えてて
私もそれを聴いて
何が正解なんだろ🤔って考えて。
でも、
考えて考えてやっぱり
優しさの形って
人それぞれで違うなぁってところに辿り着くの。
そして、それで良いんじゃないのかなって思う。
それは正しさの定義と一緒で。
人って
自分の経験からの物差しで考えて
自分が成功した体験や
自分がして貰えなくて
ずっとして欲しかった事だったり、
自分がしてもらってきた経験から改めて感じたり考えたりで、、
(それが当たり前になると気付きにくいんだけども)
正解の可能性は無限大♾️なんだけど、
どれを正解として選ぶのかはやっぱり
その人本人の中にある種による。
だからこそ、
沢山ある選択肢の中で自分がどれを選ぶか。
その選んだ答えが後から『間違えた』と思ったとしても、
どうその結果と向き合って
修正するのか
折り合いをつけるかも、
やっぱりどうしても
その人それぞれ😌
(だって、究極【反面教師】ってこともあるんだよ?自分の間違いが大切な誰かの正しさと成功に繋がることもある…って考え出したら正解なんてホント無いじゃない)
出した優しさが間違いなのかもって思ったとして、
自分が相手を思って掛けた言葉の全部に責任を持とうとずっと追いかけ続けたとして…
結局、
その目の前の人が最終的に
自分の経験から何を受け取るのか、
何を自分で選ぶか…
だけ。
だからこそ、
目の前の人に
自分が考えて
自分が思う出来るだけのことが出来るのかが
やっぱり優しさなのかなって思う。
だからこそ、
その時に出来る自分の精一杯をする
(それも、大切な人に教えて貰ったんだけどね😙)
そして、
それを相手がどう受け取って
その後、どう繋げるかは託したその人次第で
何が正解か不正解かも
その時だけじゃなく、
ずぅっと時間を通り越していく中で
経験と共に育っていくのかなぁって思った節分前のブツブツ呟きなのでした🥸
(最近ホント、文章書くのが下手になって伝えたいことが上手く言葉にならないなーってつくづく思うんだけど、
まぁそれも私自身の伸び代に繋がるモヤモヤだとしよう😎)