関西人だから尚更なのかも知れないけれど、富士山が見えるととても感動する。

 

 都内から引っ越すときに、今住んでいるところに決めたのも、「富士山が見える」ということも大きかったと思う。青空に映える富士山も綺麗だが、夕焼けに染まる空に、くっきりと富士山の形が浮き上がるのも好きだ。美しく神々しい富士山を自宅からも眺められるなんて、こんな幸せはないと、ここに住んでからずっと思っている。

 霊園の同僚は地元の人なので、小学校のジャングルジムから、いつも富士山を見ていたから、そんなに感動は無いと聞いて、なるほどなと思ったことがあった。
 私が京都の寺社仏閣にさほど感動しないのと、似ているのかも知れない。

 そして居間からは、遠くに小さくスカイツリーが見える。

 亡くなった夫も私もスカイツリーが好きで、浅草方面のお泊りの時には、せっかくだからスカイツリーが見える部屋に泊まろうと、よくスカイツリーが見えるホテルに宿泊した。
そしてそういう時はいつも「本日のライティング」を調べて、夫と2人で「綺麗だね」を連発したものだった。

 実は、居間からスカイツリーが見えるということに気が付いたのは、このスカイツリーを見に行こうとお泊りするようになった頃の事。もう遠出できなくなっていた頃のことだった。

 スカイツリーが出来たのは2012年で、自宅から見えると気が付いたのが2022年のこと。それまでは、
「何か光っているな。」
とは思っていたけれど、それがスカイツリーだとは10年間も知らなかったということだ。

 気が付いたときに、私が興奮して子どもたちにLINEした。子どもたちも独立して、もう何年も経っていた。
「ねーねー!スカイツリー、見えるの知ってた?」
2人とも、
「知らないー」
って、返事が返ってきたので、写メしたのを得意げに送る。
「おぉー!スカイツリーじゃん。」

「見えてたんだ!」
って、返信があって大笑い。

 

夫も、どれどれ…と居間の見える所まで来たことが懐かしい。

 今は朝は富士山にご挨拶。そして、夜は寝る前に「今日は何色かな?」と確認する。

スカイツリーの煌めく光を見る度に、胸が締め付けられて苦しくなる。

それでもやっぱり今夜も、スカイツリーの光を確認して、

「綺麗だね」

と、呟くことをやめられない私がいる。