<ちょっとひと休み>

 

「この水、撒いたの…誰?」
「私だけど…?」
「えっ!そうなの。」
「うん?どうして?」
「いや。誰が撒いたのかと思って…。」

その日はまだ穏やかな気候で、青空が気持ちの良い朝だった。同僚が打ち水をした事を驚いた様子で聞いてきたので、きょとんとしてしまったことがあった。

京都育ちといっても、実は滋賀県生れの私。勝手な解釈でやっているかも知れないけれど、自分ではちょっと気になってしまうことの一つに、玄関先の掃除の仕方というのがある。

いつも出勤してから30分ほどは、掃除の時間。特にどこをやれとか言われているわけではないが、やっぱり管理している者としては、汚れは自分の「恥」だと思うところがある。

よくトイレでその店のレベルが分かる、といった事も聞くが、玄関先もその一つだと思う。

ただ、いつも箒で掃いていて、思い出すことがあって、自分でも面白い。関東の人はそんなことは考えていないのかなぁ…などとふと思う。

それは、「外に向かって、箒で掃きださない。」という事であったり、綺麗に掃き清めた後は、「打ち水をしたくなる」ということだ。

凍てつく程寒い日は、危ないからやらないが、打ち水をして仕上げたくなるから、自分でも習慣というか、昔からやってきたことが、いまだに抜けないものだなと感じる。

先日の、同僚の驚いた様子も、驚かれた私の方が驚いてしまって、とても印象深い。

それに先に書いた玄関の掃き方も、外側から内側に向かって掃くなんてことは、あんまり気にされてないことなのかなぁと、ちょっと気になっている。

現実的に、外に向かって掃くと、歩く人に埃がかかってしまうというのもあるが、「ほうき」は「邪気を払う物」なので、人に向けてはいけないと教えられた記憶がある。

特にお店(商家)では「掃き出す」のでは無く、中に掃き込む事が「入り込む」と言って、験をかつぐ意味もあると聞いていて、心のどこかに「商売繁盛」=「福を招く」ような気持ちがあるように思う。

今や霊園の勤務だから、商売繁盛でもないけれど、それでも、邪気を払って、来園されるお客様が気持ちよく感じていただけるような「気」を呼び込むのは良い事だと、ひとり思ってみたりする。

それにしても、打ち水ってそんなに変な事なのかな…と、誰かに聞いてみたい気持ちになる。