「食べられなかった頃って、1回の食事がキュウイ半分とかだったよね。」
豪華な懐石料理を前に、夫の食べられる姿が嬉しくて呟いた私。
「そうだったかぁ?もう忘れたぁー!」
と笑ってとぼける夫。

 冬の石和温泉。ここは家族風呂があって、2人で一緒に温泉に入ることができる。連泊中の一夜だけ、夕食と朝食のついたプランにした。個室風な造りのお食事処は、周りのざわめきさえも心地よく感じられる。こんな風に食事をするのはいつぶりだろう。目の前いっぱいに広がっているお料理に、全部お箸をつけられるわけでも無いが、そういう場所に一緒に座っていることが嘘のようだ。
「これも美味しいね。」
「おっ!これうまいぞ。」
という、言葉を交わしながら、一緒にお食事を楽しんでいることが、まるで夢のようだった。

翌日の広い朝食会場も、ほんの少し換気の為に明けられた窓辺に席を取り、賑やかな集団とは離れて、静かに2人で過ごした。
「適当に見繕ってくれ。」
と、ニコニコ笑っている夫。そこに夫が居てくれることが、何よりの幸せだった。

 12月は初デートの場所の鬼怒川温泉へ。元気だった頃の旅では、本当にタクシーを使わなかった。それが自慢の夫だったと思う。この日は、鬼怒川温泉駅からタクシーでほど近いお宿を予約。コンビニで少し待ってもらって、どうしても必要な物だけ購入。夕食も朝食もついているけど、ノンアルのチューハイを炭酸水で割るのが私たち流。自販機に炭酸水が無いこともあるので、これだけは仕入れておかないと始まらない。旅のお楽しみは、お部屋について、まずは乾杯なのだ。

 さて、無事に鬼怒川から戻った私たち。実は、夫と再婚してから、お互いの誕生日とクリスマスは、大抵旅先で迎えていた。子どもたちがまだ家に居た頃は、年末年始も家族で旅先で迎えるのが恒例だった。秋からのお出かけラッシュの時に、計画を立てている夫から、「クリスマスはどこがいい?」と聞かれたので、「また石和温泉がいいな」と答えた。
11月に行く予定だったが、同じ宿を取っておいてくれて、迎えたクリスマスだった。

 帰るときに、珍しくクリスマスツリーの前で記念写真を撮ってもらった。わざわざ宿の方に撮ってもらうなんて、2人にすればめったにやらない事だ。

 そういえば、鬼怒川温泉駅での待ち時間、駅にあるカフェでコーヒーを飲んだ。夫はタクシーと同じ感じで、めったにそういう場所を使わない人だった。そういえばスペーシアの前に立った夫を、私が写真に収めたことも思い出す。
「ほら…そこに立って。」
と、旅先の列車の前に必ず私を立たせて、夫が撮るのが常だった。
 
 ちょっとした事が、何となく私の心をざわつかせていた。