2020年6月に悪性リンパ腫を発症。2022年3月に再発が分かり、抗がん剤治療を開始するも、副作用がその度に酷く、4クール目は7月に受けたものの、その後は治療中断。8月はとにかく少しでも食べられるようになることを目標に過ごした日々。9月頃には体力が少し戻ったということで、放射線治療を提案されたが、夫は放射線治療を延期することを希望した。

 9月10月は、まだかなり無理をしていたと思うが、浦安の思い出のホテルや、スカイツリー好きで通った浅草のホテル。さらに少し遠出の思い出の場所、足利。そして、過去に体調をくずしてキャンセルした浅草のホテルにもリベンジしたし、11月には、推し様の大衆演劇をやっているところでお泊りして観劇もできた。

 私たちは2人ともが車の運転が出来ない。だから元々どこへ行くにも、バスと電車を乗り継ぐしかないし、それが当たり前だった。車の無いことが当たり前ならば、それはそれでまた違った楽しみ方はあもので、夫が発症する前までは、そうやって珍しい路線や乗り物、観光客が中々見つけられないようなパスの路線さえも調べて旅していた。旅の計画を立てるのが、所謂趣味だった夫がいたからこそ、実現できたことだ。もちろんそこには、2人ともが乗り物好きだったというのもあるかもしれない。
 全国津々浦々、色んな形の旅をしてきた。食事付きの宿泊も、露天風呂付のお部屋も、地元の飲食街に繰り出す夕食も、一通り経験して落ち着いたのは、そこそこのホテルの部屋で、その土地のスーパーなどで仕入れた物を肴に、のんびり一杯やるという形だった。結局、旅先で呑みに出るのも面倒…、ホテルの中すら面倒…。部屋からいい景色でも眺めて、洋服なんかも脱ぎ捨てて、家に居るときみたいな恰好で、二人っきりでのんびりしようや…。それが私たちの一番気楽な旅の形になっていた。

 だからこの秋から冬にかけての旅も、私たち流のホテルの部屋で楽しむというのが目的の旅だったし、極力歩かなくて良いコースとホテルを選んでいた。
 むしろその鬼気迫るようなお出かけラッシュは、私には怖いほどで、かつて発症する前の夫の姿でもあり、夫の最後の気力をかけているようにも見えた。