ヤマトリカブト

 

 2021年は、2月に放射線治療の為、1か月入院はあったものの、概ね、穏やかに過ごしていたと思う。
 そして、年も明けて2022年。1月2月は寒いこともあるので、お家で大人しくしていようと、二人で話していた。1月の半ばに通院。予約日の少し前から、痰の量が増えていること。そして、背中に少し痛みがあることも、血液内科の主治医に告げたが、まぁ様子を見ましょうということで、また一か月後の予約を3月11日に取って帰宅した。コロナワクチンも、接種して大丈夫と言われて、すでに2回接種済みだったので、2月末には3回目のワクチンを夫は接種した。
 しかしその直後、夫の背中の痛みは激痛に変わった気がする。
 
 1月に受診した際に、主治医に痰のことや、背中の痛みを言ったのに、どうしてあの時、次の予約をもう少し早く取らなかったんだろう。体調が良くなさそうだったのに、どうしてコロナワクチンを受けてしまったんだろう。

 そんな事を考えても、どうしようもないのに、でもやっぱりそんな事を思わずにはいられない。

 あの怖いような痛みの我慢の仕方。夫が唸るように耐えていた姿が、今でも思い出される。ロキソニンも効かない。そんな激しい痛みになってもなお、予約日まで我慢するという夫に、

「とにかく明日、私、仕事休みなんだから、病院へ行こうよ。」
「(予約も無いのに)診てもらえるのか…。」
「診てもらえるのかじゃなくて、診てもらうの!」

 3月2日に外来を受診。外来の内科医は直ぐに、血液内科の主治医に連絡。

 恐れてはいたけれど、何となく「再発」という言葉を、自分の中から消していた。忘れてはいなかったけど、忘れたかった。本当に忘れてしまいたかった。

 そして、主治医はまた囁くような声で説明した。
「去年認可が降りたばかりですが、使える抗がん剤がありますので、やってみますか?」

ただ、夫の心臓の状態や、抗がん剤を使うと体力が持つかどうか分からないこと。どこまで…何クールできるかも分からない。だがやらなければ3か月。仮に治療がうまくいっても余命約1年。そもそもまだ治療ができる抗がん剤があることが、非常にラッキーなことだという説明だと、私たちは感じた。

もちろん私たち…いや、夫は、
「お願いします。」
と、即答した。

 どんな過酷な闘病生活になるか、私たちはまだこの時知らなかった。いや正確には、私は何にも考えられなくて、ただ夫の横に座っていた。