オオベンケイソウ

 夫は1クール目から7クール目までを入院と退院を繰り返し、6月から11月までかかって、抗がん剤治療を受けた。治療中も、不整脈があることから、心臓内科と血液内科、両方の先生の診たてなど、色々な事があった。結局、7クール目が終わって退院予定となったが、退院直前の夜中のトイレ中に転倒。まさかの骨折というハプニングがあり、退院が延期になってしまった。夫はとにかく家に帰りたいという意思が強かったので、何とかコルセットをつけて退院した。それは強行だったと思う。

その後、外来通院で様子見のあと、翌年の2021年、年が明けてからPET検査を受けた後、放射線治療の為、約1ヶ月入院。3ヵ月後には再びPET。さらにその1ヶ月後にMRI検査を受け、再発は認められないとのことで、2021年は暮れていった。

この2022年を迎えるまでの3か月。2021年10月には、2泊3日の旅を1回と、3泊4日の旅を2回。11月も12月も、10月と同じペースで、推しの大衆演劇の観劇も含め、月3回の旅行に出た。それは悪性リンパ腫を発症する前の、私たち夫婦の生活スタイルだった。

私たち夫婦は、再婚してからずっと、そんなペースで全国を旅してまわっていた。時には、月の半分を、時には毎週のように。夫が在職中は毎週末。例えば鹿児島へ1泊の飛行機旅なんてことや、北海道2泊の旅なんてこともあった。だから治療後の、11月に割りと遠く、金沢と石和温泉にそれぞれ1回出かけたが、後は全て浅草や両国などの関東の近場で、景色を眺めたり気分を変える旅だったので、二人にしてみれば旅というより「お泊りのお出かけ」という気持ちだった。

このようにして書くと、
「そんなハイペースで旅行が出来るなんて…さぞや元気に。」
と思われると思うが、元来の夫の気力が凄まじいゆえに出来た事だと、特に付け加えておく必要があると思う。

夫は泣き言、愚痴を一切言わない人だった。
そして、どんなにしんどくても、歩けないと言いながらでも旅に出ようと計画する人だった。
本当のところは分からない。けれど旅の計画を立てる事は夫の楽しみでもあり、私を喜ばせる事でもあったことは確かだ。私に出来ることは…、例えば、荷物は全て私が持つとか、旅先での食事の調達とか、せいぜいそんな事だった。もし付け加えるとすれば、夫の計画してくれた旅を、全力で喜ぶことだったかも知れない。

私が笑って喜んでいると、夫は心から満足した顔で笑ってくれた。そして私もまた、そんな夫の笑顔を見れば、心から笑顔になってにやけてしまう。お互いにそんな毎日だった。

だが思えばこの時期は、まだ観劇も出来ていたし、休憩しながらけど二人でお散歩も出来ていたなぁと思い出す。だが同時に、物凄く無理をさせていたのかも知れないと、今更ながら、あれで良かったのかと考えてしまう自分もいる。