こんばんはー
またしてもだいぶ空いてしまいましたね。
すぐに書こうと思いきや、書けないような事が起きてしまい・・・・
ずっと気持ちの整理がつかずに今になりました。
今日21日は私の大切な人の月命日で、今日で2年と2ヶ月になります。
2年経っても、2年前となんら悲しみは変わらずまだ信じられない状態だったり受け入れていないと言うかまたすぐに帰ってくると言う気持ちでいます。
もう亡くなっているのに、そんな状態なんですよね・・・・ずっと。
2年とかではなく、ずっとずっとそういう感覚なんだろうなと思います。
もちろん心の中で生き続けているからこその気持ちなのかもしれないんですが
大切な人が亡くなる悲しみは、当事者しか分からないと思います。
でも生きていたら誰もが経験する事なんですが、さすがに事故は急なのでまた全然感覚が違うんですよね。
私の大切な人も事故で亡くなりました。細かくは話したくないからこれからも話すつもりはないんだけど・・・・・
今回、私の大切な人と同じく私の村田女子高校〜日体大で7年間一緒にサッカーをしてきた、田村奈津枝が愛媛今治のトンネルの中で亡くなりました。
この日の夜に電話連絡が来て
「奈津枝が亡くなった・・・」と言われて・・・・
「うそだ」
一番初めがこの言葉で、一気に鳥肌が立ち体調が悪くなりました。
その瞬間、奈津枝の声とか笑顔とかが頭の中ぐるぐる回って、正直信じられな過ぎて涙すら出ませんでした。
うそだ。
うそに決まってる。だって奈津枝だよ?
高校大学と一緒で、サッカーやってる中からしたら一番一緒にいて、一緒に色々乗り越えてきて、仲良かったときもあれば喧嘩したりぶつかることも正直沢山ありました。
大学を卒業してからはお互い違うチームに行き、試合や同窓会では会いましたがなかなかゆっくり会えずだったけど、どんな時もどこにいても頑張ってる姿に私も負けないぞと刺激を与えてくれたのは奈津枝でした。
海外に行ったり、日体大でコーチしたり・・・現役は私より短かったけどそれでも現役を引退してからまた、育成に回り一生懸命指導していた奈津枝。
奈津枝がなぜ、亡くなったのか。亡くなる時、奈津枝はどんな気持ちだったのかなとか本当にニュースや写真などを見て、色々と考えていました。
考えても考えても奈津枝が亡くならないといけない理由はないし、神様がいるならなぜ、奈津枝だったかと聞きたいし、事故の前に時間を戻せたらとかばかり思います。
時間がちょっとでもあると今はずっと奈津枝が頭の中にいて、昔のことや、一番初めに会った時のこと、なんか本当に色々と思い出します。
私と奈津枝よりも、母親同士が凄く仲良しだったので本当に母も心を痛めています。
母親と奈津枝の話しをした時に、「なっちゃんっていつも笑顔だったよね」って母が言った瞬間、その時に初めて涙があふれました。
本当に、笑顔だったなーって。満開な笑顔が忘れられないし、ずっと私の心の中で笑顔の奈津枝は生き続ていきます。
初めてこんな近い仲間が亡くなり、命は儚いなと感じています。
生きるって当たり前だけど、当たり前じゃない。
日々本当に生きることに感謝しながら、大切にしていきたいと思います。
そして、奈津枝は2月に東京のナショナルトレセンのコーチに就任する予定でした。
サッカーに人一倍熱く、常に誰よりも意識が高く、情熱いっぱいで期待に胸を膨らませていたと思います。
その思いは叶わなかったけど、奈津枝の分まで私もサッカー界に恩返し出来るように、沢山盛り上げられるように頑張りたいと思います。
心の中で奈津枝と共に。
こんな風にブログに書いても書ききれないくらいです。
苦しい時も、辛い時も一番近くにいたのは奈津枝だったなと。さよならなんて言わないし、ありがとうとも言わない。
また会う日まで。
なっちゃん、またね!
私。がんばるよ!
心より、ご冥福を申し上げます。2017.2.14
2017年2月21日
丸山 桂里奈