今日で、現役を引退しました。
小6からサッカーを始め、なんだかんだ飽きずにずっと今日までやってきました。
長かったようで、あっと言う間だったけど、やっぱり長かったー笑。
最高すぎることもあれば、最悪すぎることもありました。
サッカー人生の中で、色々学び勉強し、成長してきました。
そして、そのたんびにいつも近くで支えてくれる人たちがいて、前に進んで来れました。
自分ひとりじゃ、なんも出来なかったんだろーなーと思います。
まずは、家族の協力が一番です。
どんな時も、私の意見を尊重し、見守ってくれました。
ありがとう。
そして、今まで中学、高校、大学、なでしこリーグ、WUSA、なでしこリーグと、沢山のチームでプレーさせてもらえました。
初代表は2002年なので、大学生のときからざっくり10年くらい選んでもらえて、ワールドカップ2回、オリンピック3回出場させてもらえました。
膝をケガしてからは、なかなか思い通りにプレー出来ずに、最後の最後まで痛みと闘いピッチに立ちました。
もちろん、怪我をしてなかったらまた違った世界だったのかなと思う反面、ケガをして今まで気づかなかった事に気づけたので、今はケガをして良かったとまではいかないけど、起こること全てに意味はあると思ってます。
現役最後もピッチに立つことが出来て、本当に良かったと今はホッとしてる気持ちです。
チームは二部に落ちてしまい、凄く責任を感じていますし、申し訳なく思っています。
去る者として、しっかり残留させることが出来なかったことが、唯一悔いていることです。
ですが、後輩たちが来季一年で一部に昇格してくれることを信じて、、、、、全力で応援しようと思います。
そして、私が引退した理由の一つに、本並監督が最後で終わりたかったというのがありました。
本並監督が高槻に来てから、ほぼ同じ期間一緒にサッカーをしてきました。
選手から見て、こんなに平等な監督はいないと思いました。選手を一番に考えてくれて、この監督を勝たせてあげたい、本並さんのサッカーは素晴らしいんだと証明したかった。
最後の試合で、退席になってしまいましたがそれだけ熱いんです。選手のためにどんなこともしてくれる監督、、、、こんな監督いなかった。
きっと本並さんが監督じゃなかったら私は移籍していたと思うし、高槻でサッカーしてなかったです。
本並監督、ありがとうございました。
そして、いつも私が辛いときに励まし、支えてくれたチームメイト。
家族よりも沢山の時間を過ごし、ひとつの目標に向かって走り続けてきました。
こんなに素晴らしい仲間に出会わせてくれた、サッカーに感謝の気持ちでいっぱいだし、サッカーで良かった
と思います。
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引き続き、応援よろしくお願いします。
2016年11月21日 丸山桂里奈