立田山を抜けて 森林総合研究所を通って泰勝寺に行くと

アスファルトの道路を通らなくてよい


熊大の横の道を だらだらと800mも登って行くのは

うんざりするけど 

山道は何時間歩いていても 疲れない感じがするので

森林総合研究所の建物が見えて ほっとした



市が管理している泰勝寺の入口で 200円を支払い

お茶室に向かう


花の会は 毎月 月末の土日に開催され

初日に見る時は どんな花か 全く知らない未知の状態tだけど

2日目は 前日に既に見ているので 未知と既知の差がある


既に知っているものを見に行く 安心感のようなものもあるし

またあれを見るという 期待もあるが

未知の不安や恐れは ほとんどない



ところが 最初の所で 花のついた枇杷が活けてあったのは

既にしっていたはずなのに

腰かけて 息を整えて ぼんやりと見ていたら

黒い花器と 後ろの切り替えになっている壁紙が

同系色で ほぼ同じに見えた


うわ~同じだ!と 見えた所から

なんだか 遠近感が狂ったのか 花器と壁の距離がなくなり


それでも じっと見ていたら 花器が浮き出て光って見えた

そのぼんやり光る感じが なんとも美しくて

しばらく目が離せなくなった


以前 坂村さんが 

「現代作家の花器だと 花や茶室に負ける」

と 言われていたのを思い出す


だから 中国の千年も2千年も昔の骨董品を

選ばれるのかもしれない


この花器が 骨董品なのかはわからないが

何だこの見え方は!と不思議だったので

後であの花器は何ですか?と たずねると

「綺麗でしょう」と 言われただけだった



もう こうなると 2番目も3番目も 花器が気になる


3番目は 竹の花器で

一見 枯れた竹が 所々黒くなっていて

汚く見える


我が家にもしあったら 間違いなく捨てる!

という代物だった



今年 はじめての椿の蕾が活けられている

意図的には 去りゆく 枯れたススキと

これからの椿と 

冬を予感させる冬苺の葉

なのだそうだ


そんな薀蓄は それほど重要ではなく

見たいように 見たらいいそうである



最初は 色のついた椿に目が行く

そして 次第に 竹の花器に目が移ると

先ほどの 黒い花器を見た時の目が

同じように竹の花器を見はじめた


そして また 奥行きがあいまいになり

汚く見えていたはずの竹の花器が

なんとも 美しく見えてくる


もう こうなると 見るではなく

見えてくるという感じだ


自分が見たい物ではなく

対象物が向うから 見えてくるという感じだ


もう なんだか 目がおかしくなっている

いつもの私の目ではない気がした



物って 見るのではなく

見えてくるものだろうか?