自分の内側の感じる世界に誘いたくて

もう1年ほど やりとりしている友がいる


でも 感じることは難しく

私もうまく伝えられないが

その人も 感じるではなく すぐ考えるになってしまう


自分が何を感じているかを 頭で考えても見つからない


感じることをどうやったら 伝えられるか?

これが 今のところ 私の課題だが

自分でも 感じたくないものに近づくと

途端に感じることを忘れてしまう


そんな心の仕組みがあるので 

よけいに 感じることを伝えるのは難しい




その人は 時々 私に これを知っていますか?

と 尋ねてくることがある


波動測定器


ケナフ栽培


玄米菜食


里山農業


チャネリング


コミュニティ


精霊の声





どれも 今の私は魅力を感じないものばかりで

どちらかというと それは必要ないとさえ思っている


最初は 無性に反論していた


ケナフなんて もともと日本にない植物を

植えてその後どうなるかまで考えているのだろうか?


大量のCO2を吸収するというけど

短期間のうちに大きくなり

紙の原料になるけど

その紙を燃やす時 CO2を発生する


大量の種が飛んで 野性化したら

もともと日本にあった植物は絶滅の危機にさらされる可能性も出てくる


そして 短期間に大きくなる植物なので

枯れて土に返るまで 大量のCO2を発生する


その植物が育つ時だけのCO2吸収量だけではなく

その植物が枯れて土に返っていくまでのサイクルで見たら 

トータルはプラスマイナスはゼロになるはずなのだ

そんなことまで考えて ケナフを栽培しようとしているのだろうか?




そんなことを 必死になって 訴えたりしていた

だけど 何度も このパターンを繰り返していることに気がついた


あれ?

私の中で何かが起きているんだ・・・と立ち止り

私は何を感じているのか?を 感じてみる


あ。

思い当たることが出てくる

痛いなあ

寂しさかあ


寂しさを この人に映し出していたのだ

何度も何度も襲ってくる寂しさ


受け入れる度に 少しずつ 変化しているような気もするが

またここにも 寂しさが横たわっていた


寂しさを感じて 受け入れる


性急に腹が立ち反論したくなっていたのは

寂しさから 逃げていたのだ




寂しさを受け入れると 反論したい気持ちは無くなっていた



「精霊の声が聞こえたらいいなあ」

という友に 反論する代わりに


確かに 精霊の声が聞こえたら 便利だろうなあと思えた

だけど それを欲しいとは思えなかった


なぜ そんなものに憧れるんだろう?


今まで 私が反論したくなったものを振り返ると

どれも 自分の外側に何かを求めようとしているものだ


外側ではなく

自分の内側にいろんなモノがある


自分を感じることで

真の楽しさも歓びも感じることができる


そんな内側の世界に誘いたいと思っている


私の怖れに気づくことが出来たので

どうやって感じる世界に誘い込むか

シンプルになった気がする