◆突然 片付けがしたくなる◆
早くも7月に入りましたが
みなさん いかがお過ごしでしょうか?
私は この6月は とても濃厚でハードな1ヶ月を
過ごさせていただきました
どう表現したらいいか わかりませんが
しいて言えば 自分の内面に居続けることができた
そんな感じの6月でした
その中で 一番 興味深かった事を書きますね
6月26日の日曜日
その日の夕方 急に部屋の片づけをしたくなりました
散らかってるから そろそろ片付けたいなあ~とか
スッキリさせたいから!とか
何か そんな理由とか 目的とか
はたまた 片付けると 風水的に良いとか
断捨離をして モノへの執着から解放され
シンプルに生きよう とか
そんな想いも さらさらなく
なぜか 突然 片付けたくなったのです
それも サザエさんのあってる
日曜日の そんな夕方からです
しかも 本格的に 部屋中のモノを全部引っ張り出すので
6畳の畳が見えなくなるほどで
その上 出すものは全部出したものの
片付けのやり方が 何かこれ!というものが
閃かないと動かないという ちょっと厄介なやり方でした
閃きは 片付けだけとは限りません
テレビを見たくなったら テレビを見て それに集中する
DVDを見たくなったら それを見る
携帯でメールしたり もう いつ終わるの???
という ダラダラした 片付けでした
◆当たり前の寂しさ◆
こんなダラダラやってるので 当然
イライラしたり
「さっさとやんなさいよ!」と
曖昧さや 中途半端が嫌いな
白黒はっきりつけたい 落ち着かない感情が出てきます
感情というか 感覚というか 落ち着かないわけです
いつもだったら
このイライラや 中途半端な感じが嫌なので
無意識のうちに さっさと片付けたり
していたのですが
この日の私は そんな感情を丁寧に感じて
自分の一部として 認め 受け入れていくという
とても 根気強い 対応をしていました
さすが 内面に意識が向いてるだけあって
そんな感情に気づくのも とても冴えていました
へ~~~私って この中途半端な曖昧な感じが嫌いで
何でも さっさとやったり
効率良くやっていたんだなあ~
と 気づきました
ほんと ダラダラしてるのが嫌いで
子どもたちにも よく「さっさとしなさい!」
と 怒ってました
あれは 自分のそんな感情を感じるのが嫌で
さっさとさせていたんだなあ~と気づいたり
私って ほんと いろんなことに 白黒つけたがるのね~
と 気づいたりしました
そしたら 次に 「寂しさ」が出てきました
何かをしたから 寂しくなったとか
そういった理由がある訳ではなく
不意に ひょこっと「寂しさ」が 出てきました
あまりにも 当たり前に出てきたので
いともあっさりと 素直に あ~私の寂しさは
私の中に当然在るもので 特別じゃないんだ~
と 認めざるを得ませんでした
◆寂しさは私の一部◆
それは とても大きな気づきでした
今までも ヒーリングでは 当然のように
その寂しさは 自分のモノで
自分の中に それがあるものとして
その感情に気づき
そして 認めて 受け入れて
感じてください
と 言っていました
自己ヒーリングでも そうしてきましたし
クライアントさんにも そう言ってきました
確かに それは 間違いじゃなく
同じことを これからも 言い続けると思いますが
その感覚は ずいぶん違っています
今までは 寂しさを受け入れると 言っても
それは どこか やっぱり 出来ればない方がいいもので
でも 認めないと それが無くならないので
仕方なくというか・・・
それだったら 大きな心で どん!と
引きうけようじゃないの的な
厄介ものを受け入れる 太っ腹なお母さんのような
そんな感じだったのですが それは 違いました
私の体の他の部分 例えば 手とか足とかがあるように
寂しさも私の一部というか 私を構成しているパーツとして
私の中にあるものなんだ!と 気づいたのです
そんなことに気づいたら
イライラしたり 中途半端で曖昧な感じも
そのまま 自分の中にあるもので
それを解消したりする必要はなく
次の閃きがくるまで
のんびりダラダラ待てるようになっていました
閃きは鋭くて 妥協なく
でも 頑張らずに 無理せずに
丁寧に仕事をしていきました
結局 終わったのは 夜中の2時でしたが
きれ~~~いになりました♪
なにしろ 使いやすくて 片付けやすい
いろんなモノが 良く見えるようになりました
◆今週の不思議な種◆
翌日 OSHOの『TAO老子の道・上』を見ていたら
こんな文章を見つけました
『物質の世界とは しわざdoingの世界であり、
精神の世界とは ハプニングの世界だ。
やってごらん、そうしたら あなたは物にしか行き着けない。
居てごらん、そしてものごとを起こらしめるのだ。
神はひとつのハプニングだ。』
たぶん 私は ここでいう しわざdoingをせずに
自分の内側に居続けることができたお陰で
起きてくることで 動くことができたのだと思います
私は 閃きと書きましたが 何かが起きてくる
それが ここに書かれているハプニングだと思います
しわざdoingとは
作業と言いかえることもできるかもしれません
何かを目指す!とか
何かのため!とか
どうなりたいから とかは
全て 自分でやることですから
しわざや作業になってしまいます
自分から 何かをしようとするのではなく
何かが起きてくることを待って 行動する
その感覚を 充分に味わえた貴重な経験でした
時間的に余裕がなく 効率を考えると
なかなか そんな悠長なことは 言ってられませんが
たまには 何もない時間に とりあえず何もせずに
のんびり 自分の内側から 起きてくることを待ってみるのも
いいかもしれません
きっと 思考では計算・計画できない
意外な所に 行き着くだろうと思います
お楽しみに♪
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