二女・千まめは 高校を卒業して和裁をしています
熊本で2年 東京で2年目の修行中ですが
結構 波乱万丈で 紆余曲折があるので
その経緯を書いてみたいと思います
和裁に興味を持ったきっかけは あまりよくわかりませんが
高校1年の時 月1回の土曜日の選択授業で
外部講師を呼んでの ユニークな科目があり
千まめは 着付けを選択していました
最初は ゆかたの着付けだったのですが
夏休みが終わって 体育祭でゆかたを着ることがあり
自分も着て 友だちの着付けも 5分で出来る!
と 自他共に認める ちょっとした特技になりました
そして 3年の夏休み 進路を決める三者面談を前に
千まめは 何も進路が決まっていなかったので
私は 千まめにこう言いました
「お母さんは進路も決まってないのに 三者面談には行きたくない!
面談のその日までに どこに行くか決めなさい!」と・・・
それから 千まめは インターネットでいろいろ調べて
ある和裁学校を見つけました>
そして ここに行きたい!と 言いだしたのです
私は 和裁のことは 何もわかりませんが
たまたま 数年前 友だちが講師になったので
頭数で参加することになった
アドラー心理学に基づいた『STEP勇気づけセミナー』で
子どものためではなく 生徒のために受講された
和裁学校のS先生と 同じ教室で学ぶことになりました
S先生は 任侠の世界の人?って感じの強面ですが
ほんとは 優しい50代の男性で 飲み会の席などで
和裁の世界の話を聞いていました
それで 千まめが 和裁学校に行きたいと言い出した時も
そんなに驚くこともなく 反対もしませんでした
ただ そこが どんな所かわからないので
三者面談の日は 1日有休をとるので 面談の前に
そこに2人で 見学に行くことにしました
ちょうど 夏休みだったので 今みたいに暑い日でした
バスの便が悪いので 早めに家を出て歩いて行きました
そして だんだんと その場所が近づき 建物が見えたら
千まめが 驚嘆の叫びをあげたのです!
「ここ お母さんが 昨年の竹林コンサートの時
「千まめちゃんは ここに来るかもしれないから覚えておきなさい」
と言った所だ!」と 言うのです
私は 全然覚えていませんでしたが 確かに前の年の9月に
立田プレイパークの竹林で 西村由紀江のピアノコンサートがあった時
誘ったら 千まめも一緒に来たので 2人で自転車でこの前を通りました
その時に 私が何気なく言ったのでしょう
千まめは それを思い出して 驚いていました
私も びっくりしました
建物の上に 和裁学校の看板があったので
こんな専門学校も 選択肢のひとつだと思って 何気なく言ったのでしょうが
まさか 千まめがネットで見つけた所が そこだったとは驚きでした
千まめが メールのやり取りをしていたのは 息子さんで
応対してくださった校長先生は 80代の高齢の男性でした
もう膝が悪くて2階には上がれないと言われていましたが
私と千まめに 和裁の手縫いの良さを得々と話されました
海外のミシン縫製ではなく 人の丸みをもった身体に自然に沿う
手縫いにこだわりたいので ミシンでは縫いません
縫い方は 男縫いといって 胡坐をかいた片方の足を
台の上に載せ くけ台の代わりに足の指に着物の布を挟んで
縫っていきます・・・と 説明されたのには驚きましたが
その後 実際の作業場を見学させてもらい
教えている先生の話も聞かせてもらいました
私は へ~~~~こんな世界があったのか!と 思い
ここなら 間違いないな!と 千まめが 和裁をやりたいのなら
応援したい!と 思うようになりました
そして 三者面談に行き 和裁学校に行くと先生に伝え
高校を卒業して 無事に その和裁学校に通うことになりました
その年は 7人の新入生がいて
3年間の和裁専門学校生活が始まったのでした
基礎の運針から習い 浴衣が縫えるようになり
順調に腕をあげていました
そして 1年生の終わりの頃 最初に説明してくれた
おじいちゃん先生がお亡くなり
息子さんが 校長先生になりました
そして 2年生になり 一緒に入った子たちも
全員 辞めずに続けていました
ところが 9月に入り 突然 深刻な話を聞かされました
専門学校は 校長先生個人の名前で登録申請しているので
校長先生がかわると 新しく県に申請しないといけないそうです
前の校長先生が申請した時と違って
今は和裁業界の不振で 生徒も少なく 今の月謝では
到底経営が成り立ちません
それで 県からの許可が下りず 専門学校として存続できなくなり
年度いっぱいで 専門学校がなくなることになったのです
3年課程で卒業のはずが
千まめは 2年で 学校都合による退学になりました
その後 どうするか?
同期の子で 9月の時点で 辞めた子も3人います
学校は 和裁所として技術は引き続き教えるけど
学校じゃなくなるので 学割や年金の特別措置等が受けられなくなる分
月謝を安くするということで 引き続きそこに残る子もいました
でも 千まめは なぜか 10歳まで住んでいた
生まれ育った京都で和裁の勉強を続けたい!と言い出しました
えっ 京都?
夫は 東京に単身赴任中です
せめて 夫と同じ東京なら 安心なんだけど・・・と千まめに伝えると
じゃあ 東京でもいい!と 言います
東京といっても 和裁学校は知りません
でも 学校からは 10月までには
次の進路を書いて提出するように 書面が届いていました
夫とも相談して 本人の望み通り させてあげようということになりました
でも どうやって 新しい和裁学校を探したらいいのかはわかりません
そんな所があるのかも わからないのです
わからないまま ネットで検索したら
1件 よさそうな所がヒットしました
HPも丁寧に作られていて 内容を読む限りでは
こんな所に 入れたらいいなあ~と 思いました
仕立てにこだわりがあるらしく お値段はそれなりでも
一度は そこで仕立ててもらいたい♪と ブログに書いている人いて
ますます 気に入りました
それで その日のうちに 夫と千まめに見てもらうと
2人とも 不満はないらしく そこでいいんじゃない?
ということになりました
あまりにも あっさり決まったので
本当にそこでいいのか?と 不安は残りましたが
千まめは 先方にメールをして 自分の状況を伝え
受け入れてもらえるかを確認していました
そしたら こちらの学校を伝えると 先方も知ってると言われ
先方が知っているなら こちらの先生も知ってるだろうから
校長先生に どんな所か聞いてみなさいと 伝えました
すると 東京のことは知らないけど そこだけは知っている
そこはちゃんとした所だから 大丈夫!ということで ひと安心
そして 行くことが決まった後でも
熊本市内の和裁組合の きものファッションショーが開催された時
長女のまめ子も出るというので 舞台の辛島公園に見に行くと
なんと 和裁組合の一番偉い人に あの任侠映画に出てきそうな
S先生も ものすごく目立つ和装でステージに立たれてて
終わってから 思わず駆け寄って声をかけてみました
もう 何年も会ってないので 忘れられてるかな?と思っていたら
ちゃんと覚えてくださっていて つい 長話になり
千まめが東京に行くことも話していました
そしたら S先生は 間髪入れず「○○がいいよ!」と言われました
でも 千まめが行くのは そんな名前じゃないので
「△△という所に行くことになってるんです・・・」と話すと
「△△が屋号で ○○が名字 そこだよ!
そこの先生はよく知ってるので 安心して任せて大丈夫!」
と 太鼓判を押していただきました
私が偶然ネットで見つけた 和裁所だったのですが
大丈夫 間違ってないよ!と 背中を押して貰えたようで
それまでは不安だったのが 大船に乗ったつもりで
送り出すことができました
*********
つづく
熊本で2年 東京で2年目の修行中ですが
結構 波乱万丈で 紆余曲折があるので
その経緯を書いてみたいと思います
和裁に興味を持ったきっかけは あまりよくわかりませんが
高校1年の時 月1回の土曜日の選択授業で
外部講師を呼んでの ユニークな科目があり
千まめは 着付けを選択していました
最初は ゆかたの着付けだったのですが
夏休みが終わって 体育祭でゆかたを着ることがあり
自分も着て 友だちの着付けも 5分で出来る!
と 自他共に認める ちょっとした特技になりました
そして 3年の夏休み 進路を決める三者面談を前に
千まめは 何も進路が決まっていなかったので
私は 千まめにこう言いました
「お母さんは進路も決まってないのに 三者面談には行きたくない!
面談のその日までに どこに行くか決めなさい!」と・・・
それから 千まめは インターネットでいろいろ調べて
ある和裁学校を見つけました>
そして ここに行きたい!と 言いだしたのです
私は 和裁のことは 何もわかりませんが
たまたま 数年前 友だちが講師になったので
頭数で参加することになった
アドラー心理学に基づいた『STEP勇気づけセミナー』で
子どものためではなく 生徒のために受講された
和裁学校のS先生と 同じ教室で学ぶことになりました
S先生は 任侠の世界の人?って感じの強面ですが
ほんとは 優しい50代の男性で 飲み会の席などで
和裁の世界の話を聞いていました
それで 千まめが 和裁学校に行きたいと言い出した時も
そんなに驚くこともなく 反対もしませんでした
ただ そこが どんな所かわからないので
三者面談の日は 1日有休をとるので 面談の前に
そこに2人で 見学に行くことにしました
ちょうど 夏休みだったので 今みたいに暑い日でした
バスの便が悪いので 早めに家を出て歩いて行きました
そして だんだんと その場所が近づき 建物が見えたら
千まめが 驚嘆の叫びをあげたのです!
「ここ お母さんが 昨年の竹林コンサートの時
「千まめちゃんは ここに来るかもしれないから覚えておきなさい」
と言った所だ!」と 言うのです
私は 全然覚えていませんでしたが 確かに前の年の9月に
立田プレイパークの竹林で 西村由紀江のピアノコンサートがあった時
誘ったら 千まめも一緒に来たので 2人で自転車でこの前を通りました
その時に 私が何気なく言ったのでしょう
千まめは それを思い出して 驚いていました
私も びっくりしました
建物の上に 和裁学校の看板があったので
こんな専門学校も 選択肢のひとつだと思って 何気なく言ったのでしょうが
まさか 千まめがネットで見つけた所が そこだったとは驚きでした
千まめが メールのやり取りをしていたのは 息子さんで
応対してくださった校長先生は 80代の高齢の男性でした
もう膝が悪くて2階には上がれないと言われていましたが
私と千まめに 和裁の手縫いの良さを得々と話されました
海外のミシン縫製ではなく 人の丸みをもった身体に自然に沿う
手縫いにこだわりたいので ミシンでは縫いません
縫い方は 男縫いといって 胡坐をかいた片方の足を
台の上に載せ くけ台の代わりに足の指に着物の布を挟んで
縫っていきます・・・と 説明されたのには驚きましたが
その後 実際の作業場を見学させてもらい
教えている先生の話も聞かせてもらいました
私は へ~~~~こんな世界があったのか!と 思い
ここなら 間違いないな!と 千まめが 和裁をやりたいのなら
応援したい!と 思うようになりました
そして 三者面談に行き 和裁学校に行くと先生に伝え
高校を卒業して 無事に その和裁学校に通うことになりました
その年は 7人の新入生がいて
3年間の和裁専門学校生活が始まったのでした
基礎の運針から習い 浴衣が縫えるようになり
順調に腕をあげていました
そして 1年生の終わりの頃 最初に説明してくれた
おじいちゃん先生がお亡くなり
息子さんが 校長先生になりました
そして 2年生になり 一緒に入った子たちも
全員 辞めずに続けていました
ところが 9月に入り 突然 深刻な話を聞かされました
専門学校は 校長先生個人の名前で登録申請しているので
校長先生がかわると 新しく県に申請しないといけないそうです
前の校長先生が申請した時と違って
今は和裁業界の不振で 生徒も少なく 今の月謝では
到底経営が成り立ちません
それで 県からの許可が下りず 専門学校として存続できなくなり
年度いっぱいで 専門学校がなくなることになったのです
3年課程で卒業のはずが
千まめは 2年で 学校都合による退学になりました
その後 どうするか?
同期の子で 9月の時点で 辞めた子も3人います
学校は 和裁所として技術は引き続き教えるけど
学校じゃなくなるので 学割や年金の特別措置等が受けられなくなる分
月謝を安くするということで 引き続きそこに残る子もいました
でも 千まめは なぜか 10歳まで住んでいた
生まれ育った京都で和裁の勉強を続けたい!と言い出しました
えっ 京都?
夫は 東京に単身赴任中です
せめて 夫と同じ東京なら 安心なんだけど・・・と千まめに伝えると
じゃあ 東京でもいい!と 言います
東京といっても 和裁学校は知りません
でも 学校からは 10月までには
次の進路を書いて提出するように 書面が届いていました
夫とも相談して 本人の望み通り させてあげようということになりました
でも どうやって 新しい和裁学校を探したらいいのかはわかりません
そんな所があるのかも わからないのです
わからないまま ネットで検索したら
1件 よさそうな所がヒットしました
HPも丁寧に作られていて 内容を読む限りでは
こんな所に 入れたらいいなあ~と 思いました
仕立てにこだわりがあるらしく お値段はそれなりでも
一度は そこで仕立ててもらいたい♪と ブログに書いている人いて
ますます 気に入りました
それで その日のうちに 夫と千まめに見てもらうと
2人とも 不満はないらしく そこでいいんじゃない?
ということになりました
あまりにも あっさり決まったので
本当にそこでいいのか?と 不安は残りましたが
千まめは 先方にメールをして 自分の状況を伝え
受け入れてもらえるかを確認していました
そしたら こちらの学校を伝えると 先方も知ってると言われ
先方が知っているなら こちらの先生も知ってるだろうから
校長先生に どんな所か聞いてみなさいと 伝えました
すると 東京のことは知らないけど そこだけは知っている
そこはちゃんとした所だから 大丈夫!ということで ひと安心
そして 行くことが決まった後でも
熊本市内の和裁組合の きものファッションショーが開催された時
長女のまめ子も出るというので 舞台の辛島公園に見に行くと
なんと 和裁組合の一番偉い人に あの任侠映画に出てきそうな
S先生も ものすごく目立つ和装でステージに立たれてて
終わってから 思わず駆け寄って声をかけてみました
もう 何年も会ってないので 忘れられてるかな?と思っていたら
ちゃんと覚えてくださっていて つい 長話になり
千まめが東京に行くことも話していました
そしたら S先生は 間髪入れず「○○がいいよ!」と言われました
でも 千まめが行くのは そんな名前じゃないので
「△△という所に行くことになってるんです・・・」と話すと
「△△が屋号で ○○が名字 そこだよ!
そこの先生はよく知ってるので 安心して任せて大丈夫!」
と 太鼓判を押していただきました
私が偶然ネットで見つけた 和裁所だったのですが
大丈夫 間違ってないよ!と 背中を押して貰えたようで
それまでは不安だったのが 大船に乗ったつもりで
送り出すことができました
*********
つづく