にゃんこ師匠(はづもり)の?! -4ページ目
いよいよ。
カットオーバーの時が来ます。
設計は途中からで
今はパソコンいろいろ出来ますが
当時は全て手書きです。
もちろん、テスト仕様も手書きで
共通部分はコピーして作っていました。
単体テスト
結合テスト
総合テスト
テストにテスト重ね
何度もリハーサルを繰り返しました。
それが、やっと
実際に稼働日を迎えるのは
感慨深いものですが、
ドキドキものでした。。。
本番は
やはり
何かが起こります。
どれほどやっていても
不具合はあります。
テストケースで潰していても
100%は無いんだな、と
この時、思いました。
電話対応で
日中が終わることが
何日も続きました。
安定し始めたのは
1か月過ぎた頃だったと思います。
この時、学んだことは
大きかったと思います。
いろいろなケース(不備等)を
目の前で見て、
その時の対応なども・・・。
それと慌ててやると
ロクなことが無いことも。。
自分だけでなく
周りも巻き込みますから😑

私生活に変化が出始めます。
それは、
休みの日も
出社して仕事を続けるのですから
ある者は、彼女に愛想を尽かされて・・・💔
ある者は、高級車を買い
またある者は、夜の飲みで散財し
またある者は、孤独を癒すためにそっち系に通う
などなど
当時を考えると
相当お金が貯まったと思うのですが
結局、残ってはいません。。。
ちなみに、自分はどれかと言うと
車🚘派でしたね😆
燃費の悪い、ハイオク仕様で
月々の燃料代が
バカになりませんでした.。。。😭
🍱
ちなみに、
平日は社食がありますが
休みの日はありません。
なので、会社近くの食堂や
それに類する所は、ほぼ制覇してましたね😄

これからはコンピューターの時代!
と威勢よく飛び込んだ
最初の会社がソフトハウスでした。
大学で多少かじってはいましたが、
それはお遊び程度。。。
シッカリ自分で出来るスキルを
養いたいと思い、入社しました。
その会社は主に
銀行系のホストコンピューターに
携わっていました。
その当時の銀行界は
3次オン(オンラインの略)と言われ
まさに開発作業も活況の時代でした。
入った当社は
仕組みの勉強や
どうやって動いているか、から
どのように作業をするかを学びながら
徐々に仕事を任されていきました。
そして、
1年もすると
いろいろな仕事も覚え
更には、残業が続く日々😲
残業代を基本給を上回る
逆転現象が起きることもシバシバ。。。😅
日中は開発作業を行い
業後はテストに没頭する。
だから、一端会社に入ると
太陽を見ることは皆無で
深夜残業も何回やったか覚えていません😆
(若いころは何も考えていませんから・・)
そんな日々が4~5年は続いたと思います。
そんな生活スタイルでいると
夜にはテンションが変に上がり
深夜の帰りに仲間と
バッティングセンターや
打ちっぱなし、はまたま遠出して夜食など
おかしな状況にもなりつつありました。
このような状況が続いていると
私生活まで変わっていきます。
それは、、、、。

ばあちゃん(母方)は
それはそれは
ある意味厳しく
勝ち気で
ちゃきちゃきな感じで
何でもパッパッとやる
そんなタイプの人でした。
兄妹喧嘩をしていても止めません。
逆に、箒を持って加勢することも・・・😅
そして、
いわゆる継母です。
それを知ったのは
小学校の3~4年のころだったと思います。
それまで、母親からは
そのことについて聞いたことはありませんでした。
キッカケは
自分がたまたま見つけた古い写真でした。
じいちゃんと一緒に写っていた人は誰だろうと。
よく見ろと
じいちゃん家の鴨井に
写真が飾ってある人とソックリ。
(亡くなった人の遺影ですね)
お子様な自分は、
それが亡くなった人だとは
全く知りませんでした。
(何で飾ってあるのだろう?と思っていました)
ある時
じいちゃんに聞きました。
写真にじいちゃんの横に写っているのはだれ?
(子供ながら、酷いことを聞いたものだと😞)
じいちゃんは目が見えません。
けど、察したのでしょう。
笑顔が少し固まった感じになったのを覚えています。
そこには母親もいて、
そしてばあちゃんも居ました。。。
しつこく聞くので、
母親が怒り出しました。
”そんなこと聞かんでええ!!!”
ビックリして、半泣きでその場を逃げ出しました。
その後で
母親が学生の頃に祖母が亡くなったこと、
本当のばあちゃんなら、もっと優しいかろうとか、
涙ながらに話をしていました。
母もいろいろあったことを
後々知らされました。
それでも、
自分にとっては
ばあちゃんは、ばあちゃんで
いろいろ無理を言っていたなぁ、と😐
そんな、ばあちゃんは
じいちゃんが亡くなる1年前に
あちらに帰っていきました。
亡くなる前
少し痴ほうが出ていましたが
あっと言う間に逝ってしまいました。
ばあちゃん
厳しく
そして、
いろいろ手をかけてくれて
ありがとう😊
最後まで
サバサバしてました🙏🏻

自分には
長らく師事している人がいます。
仕事はSEです。
(SE:システムエンジニア)
その人は
常に
「そんなことは関係ない」
と言います。
何があっても。。
確かに視点が違う
と思います。
それ故
周りに伝わらないことも・・・。
自分も
全てを受け入れている訳では
ありません。
と言いますか、理解できない。
が正しいと思います。
また、
常識的な
駆け引きでは
どうにもならない
そんな時でも
方針を変えることは無く
「ダメなら辞めれば良い」
そんな感じです。
妥協点を見出すことが
全くないか、と言えば
そんなことも無いのですが、、、
「それは厳しいだろう」
とする内容でした。
傍で聞いていて
ハラハラドキドキすることも
何度もありました。
常に現役で
あることを前提に
やっています。
齢70オーバー
相手に対しての
コトバの配慮が足りない、
と思うことも。。。
常に見ているのは、
現場の
作業の優位性を見て
何が足りないかを判断する。
会社の上が
見過ごしているところ。
当たり前に出来ている内容
それは、現場が絶えず支えている人たちがいる。
もっとも効率化をすべきところ
重要なところは
いつも影になっている。
そんな事を
常に言っています。
しかし、実際の対応は
説明できないことが多く
結果さえ良ければ
と言う風潮にはならないのも
事実で
その説明も曖昧な言い方をすることも。。
そして最近、
人の話を聞かないことが多くなった感じ。。
自分が言いたいことを言ってから
聞く。
以前からそうでしたが、
より一層増した感じです。
先日も
自ら対処をやっていましたが
上手く行かず。
それで、
”これをやりましたか”と尋ねると
”一言いってくれれば良いのに!”と怒る。
最初に言いましたよ、と言っても
”一言いってくれれば”を繰り返す。。。
そして最後に
”そんなの関係ないけど”と。
こちらも何が?と思わずには・・・。
ここまで来ると老害なんでしょうかね(苦笑)
システムの場では
人に説明できないことは敬遠されます。
(説明できない事象もあります)
だから、常に証跡を求められますので、
第三者に伝わらない資料は
いくら結果が問題なくても、口頭で言ったことが
正しく伝わらないと、受け入れてもらえません。
(どんな状況でもですよね)
フォーマットが決まっていても
やはり書き方は人それぞれです。
なので、何度説明しても
相手に見せる資料ではなく
自分が解る?内容でしょうか。
後から聞くこともしばしば。。。
(何度も、フォローに周ることも😣)
十数年来つづいた関係でした。
(実際に仕事で関わったのは4~5年です)
当時は多くの人が関わっていましたが
次々と離れていきました。
何となく今なら解る気がします。。。
そんな状況が続いたのもあったのからでしょう、
企業家人としての一線を退くことに。
「ダメなら辞めればいい」
これは、有言実行なんですね。
今まで大変、お世話になりました。
お疲れ様でした。
🙇🏻♂️


