幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:不動心 参照です。

 

🍓 不幸の出発点となる思い

 

会社などでは、上司が部下に目をかけ、いつもほめてやっていたところ、あるとき、飼い犬に手をかまれるような出来事が起きることがあります。

 


そして、上司のほうは、「あれだけかわいがったのに、おれのことをこのように言うとは許せない」「あんなにほめてやったのに、いまごろになって、あんなことを言っている」などと考えることになります。

 


こうしたことは、世の中にはいくらでもあります。いわゆる恩知らずです。「自分がこれだけ一生懸命に尽くしてやったのに、相手からはお返しが来ない」と言って腹を立てている人が、世のなかにはいくらでもいるのです。

 


親子でも同じです。親は「子供を一生懸命に愛した」と思っていても、子供のほうは、やがて巣立っていくと、そのお返しをしなくなります。そのため、親は「子供に捨てられた」という印象を受けることがあります。

 


職人なども、親方のところへ弟子入りをして、何年か修行した人が、やがて巣立っていき商売敵になることがよくあります。

 


こうしたとき、人間はどうしても、「裏切られた。あいつにしてやられた」という思いを持ちます。そうした感情がなぜ起きるかといえば、「ギブ・アンド・テイク」という考え方が忍び込んでいることが原因です。

 


「与えたら、与え返してくれるものだ」という期待感や、「自分がほめた人は、自分になついてくれるものだ」という考えを、無意識のうちに持っているのです。

 


したがって、与えきりの気持ちを出していくことが必要です。すなわち、「人に好意を与えるときには、見返りを求めない。一方的に与え、しかも、与えたことを忘れてしまう」ということです。

 


「自分が相手に与えたことは忘れずにいて、相手が自分に与えてくれたことは忘れる」というところから、人生の不幸が始まります。

 


「私はこれだけしてやったのに、相手は何もしてくれなかった」という思いが、不幸の出発点なのです。「私はこれだけしてやったのに、愛してやったのに、よくしてやったのに、相手からのお返しがない。

 


私の恩が分かっていない」たいていはこのように考えるものですが、この「してやった」という気持ちのなかには、一種の人格的未熟さがあることに気づかなくてはなりません。

 


あげるときには、”ただ”であげることが大切です。特に心の問題はそうです。優しさや気遣いなど、人への愛は与えきりであり、一方通行だと思ってください。もし愛が返ってきたならば、「得をした」と思えばよいのです。

 


お返しをもらおうと考えてはいけません。とにかく与えきり、人にしてあげたことはすぐに忘れることです。しかし、人からしてもらったことは、いつまでも覚えていて、感謝をしていくことです。

 


世の中に恩知らずの数は尽きないのです。その恩知らずのなかには、ほかならぬ自分自身も入っていることを忘れてはいけません。

 


「私は自分の力で道を切り開いてきた」と思っても、その途中においては、さまざまな人の恩恵を浴していることも事実でしょう。自分の受けた恩を、両親、先生、友人、会社の上司や同僚などの温かいい愛を、忘れているのです。

 


そして、「人は私に何もしてくれなかった」「あれだけしてあげたのに、飼い犬に手をかまれた」などと言う発言になっています。「他人にしてあげたことを覚えている人ほど、自分が他人からしてもらったことを忘れやすい」という現実があるのです。

 


大切なのは、「他人に何かをしてあげるときには、与えきりにして、それを忘れる。逆に、してもらったことは長く覚えておき、感謝していく」ということです。これが基本的な考え方です。

 


そうした考え方を持っていれば、世の中はもっとよくなっていきます。ギブ・アンド・テイク的な考え方の問題点は、「圧倒的善念」というものが不足していることです。

 


「ほめてやったのに、私の悪口を言った」「あれだけ引き立ててやったのに、私をないがしろにした。けしからん」などという気持ちは、まだ善念が足りないのです。

 


「よくしてあげたのだから、当然、向こうも私によくしてくれるはずだ」という思い込みがあるのです。それは、自分自身の幸福感が、他人の評価によって左右されるほど小さいということです。

 


相手に善意や幸福を与え返してもらって、初めて満足できる程度の善意や幸福しか持っていないということです。

 


しかし、自分にもっともっと善意があふれ、もっともっと幸福があふれていれば、その幸福感でもって、すべてを押し流していけるはずです。なぜ、無限の善意、無限の幸福が出せないのでしょうか。

 


なぜ、湧き出してくる泉のような無限のエネルギーが出てこないのでしょうか。大自然を見てください。泉からはこんこんと水が湧いています。

 


山のなかなど、泉はいろいろなところにありますが、泉がお金を一円でも取ったでしょうか。砂漠にはオアシスがありますが、オアシスは人間に一円でも要求しているでしょうか。

 


ただ無限に水を供給しながら、旅人ののどの渇きを癒しているだけではないでしょうか。あるいは、豚肉や牛肉を買うときには、いくらかの代価を払いますが、牛や豚はどれだけの代価を得ているでしょうか。

 


そうしたことを、人間は考えたことがあるでしょうか。また、空にかかっている太陽は、「人間から何かお返しが欲しい」と言っているでしょうか。一円でも「欲しい」と言っているでしょうか。

 


電力会社は無料では電力を供給してくれませんが、太陽は無料で熱やエネルギーを与えてくれているのです。生きている人間に「太陽のようになれ」ということは無理かもしれませんが、自然の中には、そうしたことが数多くあることを知らなくてはなりません。

 


また、そこに仏の心もあるのです。みなさんは、相手の恩知らずを気にしない方法を、見出していかなくてはなりません。その際、「自分のなかにもギブ・アンド・テイクの心があり、相手の評価によって幸せを確かめようとする小さな心、卑怯な心がある」ということを知る必要があります。

 


泉のごとくあふれ出て、圧倒的善念でもって人を潤していくような、おおらかな気持ちが大事なのです。人の言葉に傷ついたり、「お返しがない」「感謝がない」と思ったりしたときには、圧倒的善念という言葉を思い浮かべてみてください。

 


そして、「自分には与えきりの心がなかったのではないか」と考えてみることです。お返しがなくて悔しい思いをするくらいならば、最初から与えないことです。

 


人をほめたり「人を幸福にしよう」などと思ったりしないことです。そして、自分の殻のなかで生きていけばよいのです。「人を幸福にしよう。人をよくしよう」と思う以上は与えきりの心でなければいけません。

 


「見返りを求めてはいけない」ということを、大切な心得としていただきたいと思います。

 

🍋 不動心・・・・・

 

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(私文:与えきりの愛)

 

ここはとても大切な仏法真理でもあると思います。いろんな所の仏法真理で、理解できなかったり、分からなかったり、努力がたりなかったりして、私自身は無力に感じることがよくあります。

 


でも、しかし、この「与えきりの愛」の所だけはきっちりと自分のものとして、時間をかけて、習得したいと願っています。

 


この教えを心の中で、100%膨らますことができたとしたら、私のこの世での魂修行が大成功できたのではないかと思います。そう思えるほど、大事な大事な教えであると思いました。

 

 

 

 

 

 

💗 最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございました。💗

 

是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・不動心 を読んでください。

 

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