幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・人生の王道を語る 参照です。

 

🍓 沈黙の時間を持て                                            

 

(平らかな湖面を守るために)そのための方法は、一つには、まず沈黙の時間を取ることが大事です。一日のなかで、静かなる時間を取ることです。言葉を発することなく、静かなる時間のなかで自分自身を見つめるときを持つことです。

 


これは、ひとつの習慣です。しかし、この習慣のなかに幸福というものが芽生えてきます。こういう単純な話をすれば、みなさんはお笑いになるかもしれませんが、私自身の幸福感覚が強かったときというものを考えてみますと、

 


夕暮れどきに散歩をしながら、季節の移り変わりを見て歩いているときに、自分がとてつもなく幸福者であることを感じたことが何度も何度もありました。

 


秋の夕暮れどきに感じたときもあるし、また、一月に雪が積もっているなかで、寒梅がみごとな赤い花を咲かせているのを見たときに得た感激もありました。

 


そうしたときに、何とも言えない幸福感というものを味わったことがあります。この幸福感は、何ものにも替えがたいものです。

 


これは、小恍惚感ともいいます。英語で Peak-experience と言うこともあります。こうした小恍惚感の感覚は、過去、禅などでいわれた悟りの感覚にもきわめて近いものです。

 


そして不思議なことに、こうした恍惚感、幸福感というものを得た人は、なぜかそれから後に、他の人びとのために生きようと思うことが多いという事実があるのです。

 


これは歴史的にそうなのです。そうした至福のときを持った人は、なぜか、多くの人びとのために生きたいという気持ちが強くなるのです。

 


おそらく、その瞬間に大宇宙と一体になって、自分が大いなるものから愛されているという気持ちが、その幸福感覚が身体いっぱいに満ちたために、その幸せな感覚を他の人びとにも分け与えたいと思うようになるのだと私は解釈しています。

 


真に幸福になったことのある人間は、その感覚を少しでも多くの人におすそ分けしたくなる、そういうふうになるものだと感じるのです。ゆえに私は、みなさんに特殊なことをお願いしようとは思いません。

 


その心を湖面のごとく凪いだ鏡のような姿にしてほしいのです。そして、それを保つことが、よろこびであるということを知ってほしいのです。

 

🍓 怒るなかれ

 

人間は、他の人を不幸にする権利はありません。それは、自分自身の立場に立ってみるとするならば、他の人の行為によって不幸にされる必要もないということなのです。みずからの幸・不幸は、みずから自身が決めていけばよいことです。                            

 


その湖面の輝きをあくまでも守りつづけるという姿勢が、自然しぜんに、周りに対する態度を変えていくようになるでしょう。小さなことで腹を立てるようであっては、到底、その心のなかの澄みきった湖面を維持することはできません。                  

 


「怒ることなかれ」といいますが、それは、決して道徳的にだけ言っているのではないのです。怒ることによって、この湖面は波立ちます。そして不愉快になるのは自分自身なのです。自分自身の幸福を阻害しているのです。          

 


怒りを発するときというのは、自分自身が不当に扱われたと思い、その不幸感覚ゆえに、もっと幸福な自分でなければならないと思って怒りを発するのでしょうが、その結果、自分自身のいちばん大事なものを失っているのです。                                

 


ですから、自己保存欲の怒りがこみ上げてくるようなことがあったなら、いったん踏みとどまっていただきたい。心の中の湖面をもう一度見ていただきたいのです。自分は今いちばん大事なものを失おうとしているのだということを、知っていただきたいのです。                                         

 


自己保存の怒りを発した瞬間、人は断崖絶壁に足がかかっていることを知らねばなりません。それを発したときに、悲しいかな、今まで登ってきた山から千尋の谷に落ちてしまうのです。ゆえに、みずからの向上を願い、そして幸福を願う者は、決して動物的に怒ってはなりません。

 


しかし、みなさんは疑問をお持ちでしょう。「世の中は理不尽なことが満ち満ちている。間違ったことが横行しつづけている。また、人から誤解を受ける場合もあるではないか。そのように誤解されたままでは、甚大な被害が出る」と思われることもあるでしょう。確かにそれも一理あることだと私は思います。                        

 


怒りにも私憤と公憤とがあり、私がここで避けるべきだと言っているのは私憤のほうだからです。理性と正義に照らし、積極的悪を押しとどめ、理想社会建設をするための公的な怒りは、必要なものだからです。その際には、冷静さと相手の間違いを気づかせることも愛なのだという視点をきちんと持っていることです。                                  

 


心の平静さは、決して失われることはないでしょう。「怒る」のではなく「叱る」のだと区別することです。けれども、世の中には直接的な責任と間接的責任というのがあります。自分が直接的な原因となって起きたことについて、他の人から批判を受けるということはあるでしょう。                                     

 


これは、自分自身が真正面から捉えなければいけないことであり、逃げることは出来ません。自分が原因で起きたことに対しては、やはり受け止めなければなりません。これ以外に、間接的な責任というものも、非常に多くあります。                   

 


それは、注意不足であったり、努力不足であったり、広い意味においては、みずからの人格の力の弱さであったり、徳力の弱さであったりすることがあるのです。日頃、多くの人びとの面倒を見ることができなかった、彼らの幸福のために時間を費やせなかった、そのツケが回ってきていることだってあるのです。

 


自分が誤解を受けて苦しいとき、そういうふうに直接的な責任、間接的な責任ということを考えて、その間接的な責任においても、やはり自分自身反省すべきことがないかどうかを考えてみることです。                              

 


池のなかに石が投げ込まれてきたと思ったならば、波立たせないように努力することです。それを小さく受けとめることです。小さく小さく受けとめていくことです。そして、冷静になることです。憎しみの言葉に対しては、ときに沈黙が必要となることもあるのです。

 

🍓 寛容の美徳・・・

 

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(私文:つい怒ってしまう自分)

 

何歳になっても、”怒り” から逃れのは大変です。瞬間湯沸かし器のように、考える間がなく、怒ってしまうのです。後になって、またやってしまった! と思うのですが、この繰り返しから、抜けることができません。こんなに仏法真理を学んでいても、 ”まだ怒るのか”! と思って、哀しくなります。

 

 

それでも怒る回数が少なくなってきていることは事実です。大川隆法総裁先生の期待を裏切るわけにはいきませんので、必ずやこの怒りの部分をクリアして、次のスッテップへ行けるように、頑張ります。 
 

   


💗 最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。💗

是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:人生の王道を語る を読んでください。

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