幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:幸福への方法 参照です。

 

🍑 素直な心を大切に

 

柏手のことから話を始めましたが、みなさんに知っておいていただきたいのは、寺社で手を合わせるときの心と同じような「素直な心」を持つことが、いかに大切であるかということなのです。


 

「素直な心を持ちなさい」と言われると、まるで小学生に対して言われているような気持ちになって、「それは子供のころに聞いたことだ。いまさらそんなことを言われなくても分かっている」と言う人は多いのかもしれません。


 

そうした人は、「自分はもう大人だから、そんなことは分かりきっている」と思っているのでしょう。しかし、それは違うのです。


 

イエスも、「心清き人は神を見るであろう」(「マタイ福音書」5・8)ということを聖書のなかで言っています。しかし、クリスチャンたちは、その聖句を長いあいだ見つづけながら、なかなか神を見ることができないでいます。


 

それは、その言葉のほんとうの意味をよくつかみとっていないからだと思います。「心が清くあれば神を見ることができる」というのは、ほんとうにそのとおりです。


 

「幼子のごとくなければ天国には入れない」(「マタイ福音書」18・3)という言葉もありますが、まったく同じです。私は現在、高級霊と話をすることができます。


 

なぜそれができるのか、他の人とどこが違うのかを考えてみると、結局、「素直な心」があるということだと思うのです。別の言葉でいうと、「純粋さ」でもあるでしょう。


 

それは、「この世のいろいろな思い、しがらみに染まらずに、純粋な理想のようなものを持っている。あるいは、透明度の高いガラスのような心を持っている」ということなのだと思います。


 

要するに、このガラスの透明感が低いと、仏神の声は聞こえないのです。普通の人でも、四歳ぐらいまでの小さい子供のときには、ほんとうに天使のような心を持って純粋に生きています。


 

しかし、だんだん物心がついてくると、反抗期に入ったり、友達といっしょに悪いことを考えたり、いじめをしたりされたりと、いろいろなことがあって、心がしだいに歪んでいくのです。


 

実社会に出てからは、それがもっと激しくなります。狡猾な考え方をするようになったり、平気で人を騙せるようになったりします。あるいは、思いもよらぬ相手から陥れられてしまい、「世の中には、そうしたこともあるのだな」ということを知って、以後、警戒していくようになったりもします。


 

このように、この世的なやり方にいろいろ染まって、本来の純粋な心を忘れていくようになるのです。もちろん、この世の中で身を処していくためには、処世術というか、いろいろなことを知らなければいけません。


 

それには法律もあれば経済もあるし、仕事上の専門知識もあります。そうしたことをまったく学びもしないで、幼子のような気持ちだけでいたならば、この世では通用しないでしょう。


 

この世の常識や道理、専門技能のようなものは、当然、学ばなければならないのです。ただ、そうしたものを学んでいくときに、それらが自分の心を覆う鎧のようになってはいけないのです。


 

この世的な知識が、自分の心をまったく覆ってしまう鎧のような役割を果たして、仏神の御心が分からない自分になってはいけないということです。


 

仕事がらどうしても、この世的な知識をわきまえなくてはいけないこともあるでしょうが、「純粋な心を忘れまい。素直な心を忘れまい」という気持ちを、常に持っていることが大事なのです。


 

そして、いったん仕事を離れたならば、とらわれのない、明るく透明度の高い心を、すぐに取り戻せるようにすることです。心というものは、きれいなガラスの容器に入ったダイヤモンドであるーそうしたイメージを持っていなくてはいけません。


 

真ん丸い水晶の玉のなかに入ってると言ってもよいでしょう。水晶の玉のなかにダイヤモンドがあるならば、水晶の表面をきれいに磨いておかないと、なかにあるダイヤモンドの美しさが見えません。


 

ダイヤモンドそのものは、外から見えようが、いつもキラキラと光を放っているわけですが、外側の水晶なりガラスの器なりが曇ってしまうと、外からはダイヤモンドの光が見えなくなってしまうのです。


 

そのダイヤモンドをキラキラ輝かせるのは、天上界からさしてくる光、仏の光です。それは高級霊からの啓示であったり、インスピレーションであったりします。


 

そうした光がサーッとさし込み、ガラスや水晶の容器を通り越してはじめて、そのなかにあるダイヤモンドはキラキラと輝き、その値打ちを周りに見せてくれるのです。


 

昔から、「人間は平等である」という言い方をよくしますが、ほんとうにそのとおりだと思います。


 

ただ、平等であるということにあぐらをかいて、「人間は平等なのだから、どんな生き方をしても、どんな考え方をしても、みんな同じ値打ちがあるのだ」と思ったならば、それはたいへん傲慢なことだと思うのです。


 

人間が平等だというのは、「誰の心のなかにも、仏からいただいた美しいダイヤモンドがあるのだ」ということを意味しているのです。


 

ところが、ダイヤモンドを持っていても、ダイヤモンドに光がささなくなったならば、その輝きは見えなくなります。各人はすばらしいものを持っているのですが、それを曇らせているのも各人の心なのです。


 

美しいダイヤモンドの輝きにも似た、宝石のような心を、仏からいただいているにもかかわらず、それをまるで石炭か何かのようにしてしまったのは、いったいだれでしょう。それを問わなければなりません。


 

心というものは、美しい宝石として輝く可能性を持っているにもかかわらず、いつのまにか、それが黒ずんだものに見えるようになっていたとしたならば、それはだれのせいでしょう。


 

そして、自分自身のダイヤモンドが黒ずんでしまい、まるで石炭か何かに見えるようになっている人は、他の人の心のなかにあるダイヤモンドさえも、同じように煤けて黒ずんだものに見えてくるようになります。そのため、世の中が真っ黒に見えてくるのです。

 

🌺 この世での修行のあり方・・・

 

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(私文:心のなかのダイヤモンド)
 

子供のころによく、思っていたことは、とてつもなく、正義感が強かったことを覚えています。”少年ジェット” というテレビドラマがあって、そのヒーローが崖の先端に立って、赤いマフラーをしている姿が大好きでした。

 

子供時代の自分の記憶を思い返してみると、ほんとうに純粋であったと思います。そのような心が私の心のなかにもあったと言うことなのですね。心のなかのダイヤモンド。大切にしていきたいと思います。


 

💗 最後まで読んで頂いて、本当に 本当にありがとうございました。💗

 

是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:幸福への方法 を読んでください。

 

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