幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:地獄の法 参照です。

 

そうした信仰を持って生きていくことを、大きな意味において「正しき心の探究」といいます。そして、その「正しき心の探究」の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています。

 

🍋 ・愛ー「奪う愛」から「与える愛」へのパラダイムシフトを

 

まずは、「愛」の教えですが、この考え方がほとんどの場合、誤解されています。「愛とは他人から奪うもの、もらうもの」とばかり考えている人が増えています。この考え方は共産主義のなかにも蔓延しております。


 

共産主義の場合は、経済的な意味が多く、「持てる者から収奪して、持てない者がそれを奪う」というかたちですけれども、考え方に誤りがあると思います。


 

人がこの世に生まれるのは、やはり、その人の努力や実績というものを通して魂的に向上させることが目的ですから、いわゆる「働かずして、人が汗水を垂らして手に入れたものを奪い取る」「システム的に奪い取る」ということはよいことではありませんし、本人たちを堕落させることにもなりかねません。


 

もう一つは、自由主義社会といわれるなかにある「社会福祉主義」です。これらも、一定の人類の知恵として福祉思想があること自体まで否定しているわけではありませんが、結果的には共産主義の代わりになって不平不満を吸収するためだけに、そういうふうになっていることもあります。


 

ですから、これは、神仏の力を使わずしても、この世において、国家が財政破綻し、国が崩壊していくきっかけにもなっていると思います。


 

この日本という国においても、国民が納める税金の二倍の金を政府が使い続けているという状態です。これが何を意味するかということですが、「いずれかの時点で国家が破綻する」ということを意味しています。


 

これは、アメリカにおいても EUの大部分の国においてもそうだし、アジアやアフリカの貧しい国においてもすでに起きていることです。結論は、「足ることを知る」ということで、自分の働きに見合った生活をすることを考えていかねばならないということです。


 

愛を、「奪う愛」から「与える愛」へとパラダイムシフトしていくことが大事であるということだし、この「与える愛」こそ、神仏が人類を生かしめてきた力なのだということです。


 

あの太陽の光のように、あまねく光を降り注ぐ、その一翼を担うということが、人類の行ずべき「愛」という言葉の意味になります。

 

🌈 ・知ー霊的な真実に裏打ちされた「仏法真理」を学ばなければ、魂の向上にならない

 

それから、「愛・知・反省・発展」の「知」は何かということですけれども、これは「仏法真理」のことであって、本当の世界観や霊的な真実、神仏の教え、こういうものに裏打ちされた知識でなければ、この世で学んでも魂の向上にはならないということです。


 

だから、「神は死んだ」とか、「唯物論がすべてだ」とか、「この世の利便性だけが、もう最高のものだ。幸福なのだ」というふうにだけ考えていくならば、間違っていると言わざるをえないし、


 

「自分がどこから来て、どこへ行くのかさえも知らない人類」というのは、ちょうど、「駅のホームに立って、自分が何のために駅のホームに立っているかを知らない人間」と同じです。


それは、次に来る列車を待っていて、それに乗ってどこかに行こうとしているということであり、「どこから来て、どこへ行くかを知らない」ということは、「自分自身を見失っている」ということと同じなのです。

 

🌼 ・反省ー犯した罪や思い、行いを振り返り、心を磨く

 

さらに、「反省」という言葉を述べております。人は地獄に堕ちることがあります。仏法真理に反した生き方をしたときに、地獄に堕ちます。


 

ただ、そのときに、いたずらに半逆心を起こして、神への反抗に加担するだけであってはならないということです。自分自身が、自分自身の犯した罪や思い、行いを振り返り、反省することによって、心を磨いて天上界に還っていくという機能を与えられているのです。


 

だから、その力を、もう一度、取り戻してほしいと思います。それを、生きていくうちの学習の中心軸においてほしいと思います。

 

🌺 ・発展ー徳を積んだ者が多くの人たちを導いていけるユートピアづくりを

 

そして、最後に「発展」という言葉が来ますけれども、この発展のなかには「ユートピアづくり」ということも入っています。


 

ユートピアづくりは、いろいろな思想のなかで述べられていることではありますけれども、「ユートピアなのか、ディストピアなのか」ということを峻別できないようでは駄目です。


 

ジョージ・オーウェルの「1984年」や「動物農業」に書かれているような、そういう社会をユートピアと考えてはなりません。この地上において修行し、徳を積んだ者が、多くの人たちを導いていけるような、そういう国や社会を目指していかねばなりません。


 

いやしくも、人の上に立つ者が、嘘偽りを駆使し、そして、お金や地位や名誉を利用して、人々を煽動する力でもって権力をつくっているということは許しがたいことだし、陰謀によって世の中を自由に動かすということも問題外だし、


 

ましてや、マスコミを使って誤った情報のほうに人々を誘導して、全員を海のなかに突き落とすようなことがあってはならないと思います。本来のユートピア社会は、霊天上界とも調和できるものでなければなりません。


 

マスコミの原理が、「疑い」「疑」ということを中心に発展しすぎていることに対して、たいへん悲しみを感じております。また、この世における知識の獲得を一つの身分制として、


 

現代、民主主義社会のなかにおける身分制社会として、知の獲得をもってそれに代替していることが流行ってきておりますけれども、その「知識を得る」ということは、「智慧を得る」ということと必ずしも同じことではありません。


 

知識のなかにおいて、ダイヤモンドの光を宿しているものを選び出すこと、そして、そうした本物の知識に、「人生修行」という名の経験を通すことによって智慧をつくり出していくことーこれが大事なことです。


 

これなくして、単なる点数とか偏差値とかいうようなもので、学歴主義で、人々を統治階級に上げるか上げないかを決めて、その偏差値でもって、生まれつきの貴族のごとく、


 

人々を見下したり、支配したり、命令したりする根拠とすることは、残念ながら、「天上界的なものではない」と言わざるをえません。それは一つの迷妄だというふうに考えられます。    

 

🌷 四正道で、唯物論やこの世的な科学主義ではない、よりよい社会をつくる努力を

 

ですから、虚心坦懐に考えて、「神仏の心を心として生きているかどうか。神仏の智慧を自分の智慧としているかどうか」、そういうことを謙虚に増やして、人々を導くことが大事です。


 

そういう世界のなかに、愛が溢れ、自分の間違いを認め、真理を学習し合い、よりよい社会をつくっていこうと努力することが大事であって、その行く先は、唯物論や、この世的な意味に限られた科学主義ではないということです。

いくら科学が進んだとしても、まだ生命の神秘は解けていません。なぜ、土のなかの小さな卵が地上に出てきてカブトムシやクワガタムシになるのか。それさえ十分に分かりません。


 

なぜ、体のなかの内蔵が、それぞれの使命を果たすのか。自分でつくったわけでもないのに、脳内の組織がいろいろな機能を持っているのはなぜなのか。


 

DNA  というものを解明したところで、なぜ、そういうものができているのか。人類にはそれを明らかにすることができません。愚かな科学者には、「DNA こそ魂の正体だ」と言っている者もあります。


 

そして、「親、子、孫と DNA がつながっていくことが、魂の転生輪廻と同じことだ」というふうに考える者もありますが、実に、宗教的な無知が、現代において違うかたちで表現された」というふうにいわざるをえないと思います。

 

🍋 「地球を魂修行の場として維持したい」という希望・・・

 

◎◎◎◎◎◎◎
 

(私文:大切な現代の四正道)
 

この現代の四正道という教えは、幸福の科学が設立された当初から、教えられた大切な教えです。この教えのために、数多くの書籍が必要になってくるのです。だからとても深い教えなのです。


 

愛の教えは万人共通の教えですし、反省と発展は、特に私にとって今回の人生の眼目になっている感じがします。もう、三十年以上教えを学んできていますが、まだまだ、最初の段階にいると思いますし、いろんなことを、今世学べるだけ学ばなければ、死ねないと思っています。とてもありがたいことなのです。

 

💗 最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。💗

 

是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍:地獄の法 を読んでください。

幸福の科学に興味のある方は、03-5793-1727
ネットからも入会できます。【幸福の科学 ネット入会】検索

 

幸福の科学 自殺防止相談窓口 ウツやいじめ、経済苦、恋愛、病気など、お気軽にご相談ください。【受付時間】火曜~土曜(祝日含む)10時~8時
相談料は無料です。別途、通話料・通信料はかかります。
📞03-5573-7707