幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・フランクリー・スピーイング Frankly Speaking 参照です。
🍓 大悟から「エル・カンターレ宣言」までの背景
Q: 「エル・カンターレである」ということですが、ご自身でエル・カンターレということを認識されたのはいつ頃のことなのでしょうか。
A: 1991年だと思います。もちろん、1981年に啓示が降りてきはじめて、1981年の七月頃に、自分の潜在意識としての釈迦の意識というものが出てきたので、そういう意味では自分が仏陀の意識であるということはすでに知っていたし、霊言等もとってきている間に、ある程度、私自身の教育と言いますか、地上に人間として生きている私自身の教育を、高級霊がやっていたんだと思います。
そして、1986年に実際に会社を退社して『太陽の法』という本を書きはじめたのです。それを書いている段階で、はっきりとした確信と言いましょうか、自分自身のこの法の高さ、あるいは使命、あるいは何者なのかというところの悟りが、ほんとうの意味で深まったのではないかと、このへんで第二段ぐらいの悟りに入ったように思いました。
『太陽の法』自体は、決して構想して書いたものではないのですけれども、自分で書いているうちに、どんどんどんどん内側から出てくるのです。書いていて、「なんで自分はこんなことを知っているんだろう」と思うようなことが次から次から出てきて、本が仕上がっていくんです。
そして、書いてある内容自体、その射程距離、それから高さ、広がり、いろいろ見た感じでは、過去、書かれたことのない内容です。そして、これも一種の悟りの書でしょうけれども、悟りの書としての『太陽の法』を見たときには、『太陽の法』自体のその悟り、これは、はっきり言って内容的には釈迦の悟りを超えているものです。
インド時代の釈迦は、あそこまでは悟っていないのです。絶対に悟っていない。だから、これは釈迦の悟りを超えているものだということを自分自身でも確認ができたし、同じ頃、他の霊言でも『あなたはエル・カンターレという存在であるのだ』ということをはっきりと告げられてきはじめたわけです。
その実証としては、やはり法の内容あるいは高さにおいて、実際に過去世の釈迦と言われた人を超えているということについて、自分でも自覚があったし、あるいはキリストの悟りとかそうした九次元諸霊という人たちが過去に説いた法、行動等を見たかぎり、彼らの悟りというものが、私には掌に乗るように見えたわけなんです。だから、そういう立場に立っているのだということを知ったのは1986年ということです。
そこで、自分自身はそういうことを知っていたとしても、現実には、たとえばまだ一人も会員がいない幸福の科学、あるいは百人しかいない幸福の科学、千人、一万人、どの時点で、自分自身の自覚と言いましょうか、悟った内容を公表できるだろうかということを、自分なりに考えていたわけなのです。
ある程度、社会的に認知される規模にならないと、そういうことをいうことは不遜でもあるし、また、あらぬ迫害を受けるようなことがあって、会員たちにも迷惑をかけることになると思って、実際に1986年の十月から会の活動が始まってから、いろいろな運動を重ねてきて、「エル・カンターレ宣言」をするまで、五年間、事実上、私自身は黙っていたわけです。
もちろん活字(霊言集など)にはなっていますけれども、言いませんでしたから、そういうかたちになったわけです。
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(私文:どれだけ、慎重に幸福の科学がスタートしたか)
幸福の科学を立ち上げるときにも、大川隆法総裁先生はどれだけ慎重に、間違いのない法を、活動を行ってきたことが良く分かると思います。何度も何度も確認し、確実なことだけを伝えて来られた、大川隆法総裁先生。
私たち仏弟子も、慎重に、確実に自分の心に響いたことを、お伝えしなければと、私はいつも ”戒” にしています。
最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございます。是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・フランクリー スピーキング Frankly Speaking を読んでください。