🌸 幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・悟りの挑戦(下巻) 参照です。

 

目次 🍋 ものの見方における中道
① 白紙に戻せ
② 断常の中道
③ 無我についての誤った理解
④ 有無の中道ー「空」とは何か

 

🌈 ① 白紙に戻せ

 

次に、ものの見方、考え方としての中道に入っていきます。これはいっそう高度な考え方ですし、修行者としては、むしろこちらのほうこそが、真に大切な中道の考え方ではないかと思うのです。


 

ものの見方においての中道とはいったい何でしょうか。簡単に言うならば、「まず白紙に戻せ」ということです。この白紙というものを、仏教用語で「無記」ー記さずと書くこともあります。


 

すなわち、既成の観念、概念、価値観をそっくり受け入れるのではなくて、いったん白紙に戻して、みずからの目で、率直に、もう一度見直してみなさいという考え方なのです。たとえば、インドには、釈迦の時代からカースト制度というものがありました。


 

いちばん上の階級に、バラモンという祭司階級、僧侶階級がありました。その次にクシャトリアという武士階級がありました。その下にバイシャという商人階級がありました。その下にシュードラという奴隷階級がありました。


 

さらにその下の階級(チャンダーラ)さえありました。こういうことで、生まれによって、人のそれぞれの貴さというのが決まっていましたが、釈迦はこうした考え方に対しても、率直な疑問、率直な意見を述べています。


 

何ゆえに、生まれによってバラモンといい、生まれによって貴いとされるのか。何ゆえに、生まれによって卑しいとされ、シュードラとされるのか。それは人間の値打ちと本当に関わることなのだろうかー。こうしたことは、当時としては非常に革命的なものの考え方ですが、釈迦の結論はこういうことでした。


 

「行為によってバラモンとなり、行為のよってクシャトリアとなり、行為によってバイシャとなり、行為によってシュードラとなるのである。


 

神仏に仕える道を実践した者が、バラモンであり、武士階級としてその仕事をした者がクシャトリアであり、商業活動に携わった者がバイシャであり、落ちぶれ、零落して、人びとのさげすみを受けるような生き方を現実にした人間がシュードラなのだ。


 

人の値打ちは生まれによって決まるのではなく、その行いによる。その行為による。これが正しい基準である」。


 

このような考え方を出しました。もちろん、この行為とは、前提としての意志も含まれるものです。


 

先ほど述べた「白紙の状態で、もう一度、人間なるものの値打ち、生き方というものを考える」とは、このことを言うわけです。考えてみれば、現代にもこうした価値観は数多くあります。


 

A が値打ちがあって、B は値打ちがない、こんな考え方はいくらでもあります。職業においても然り。男女においても然り。また年齢の上下においても然り。あるいは収入においても然り。


 

また、それ以外にも、外見、顔だちが良いか悪いかといった、さまざまなこの世的なる一定の価値観がありますが、それをもう一度、白紙の心でもって眺めてみなさいということを意味しているのです。これは、決して懐疑論をもってよしとしているのではありません。


 

疑って疑って、そして何も価値秩序がないような状態をよしとしているのではありません。「人から教わったことを中心にするのではなく、謙虚に、率直に、白紙の状態で、自分の素直な目で、もう一度眺めて見なさい。そこに違った風景が転じてくるはずですよ」ということを言っているわけです。


 

いまカースト制度の例を引きましたが、学歴にたとえてみましょう。学歴があるということは尊い、これは一般的な考え方です。しかし、個別に人間を見たならば、学歴があることによって、その人の人格が高まり、仕事能力が高まり、よって世の人びとに貢献することができるような尊い人がいる一方で、学歴があるがゆえに、それを鼻にかけ、堕落に陥り、他の人びとには迷惑をかけていく人もいます。


 

すなわち、学歴があるということ自体は、善とも悪とも言いかねるものであるのです。それはあくまでも、上手に使えば有用なものではあるのですが、使い方を間違ったら、間違った方向にいくのです。


 

同じことは財産についても言えるでしょう。あるいは、異性への愛情にも同じことが言えるでしょう。愛情そのものが悪いかといえば、そうではありません。それを悪としてしまった場合には、人間として、人類の保存ということは、なしえないことになります。


 

しかし、男女の愛情は無批判によいことだと考えた場合には、放蕩に生きる人間が出、堕落する人たちが出ることも然りです。


 

すなわち、「その人を真に向上させる生き方であるかどうか、その人を真に幸福にする道であるかどうかということは、いったん白紙に戻した目で見なければ判断はできない。こうした素直な目でもって、もう一度、この世的なる価値観というものを見直してみなさい。


 

そして魂の目でもって、真なる見方を提示しなさい」ということです。これが、見方における中道の最初の説明です。わかりやすい説明の一つではないかと私は思います。

 

 

② 断常の中道・・・
③ 無我についての誤った理解・・・
④ 有無の中道ー「空」とは何か・・・

 

 

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(私文:この ”中道からの発展” が大好きです)

私は仏法真理の抜粋を投稿するに当たり、一番の基準は ”自分の心の琴線に触れている” ということです。それでないと多くの人に共感を与えることはできないと思います。ですから、自分が読んで、これが心に響いたという個所を選んで投稿するようにしています。

 

そのなかで特に ”中道からの発展” は、一番かもしれません。文章のなかに、何かのリズムを感じています。波長、波動かもしれませんが、よい心持になります。是非とも読んで、出来れば感想を下さい。お願いします。

 

 

最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございます。是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ大川隆法総裁先生 書籍・悟りの挑戦(下巻) を読んでください。

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