🌸 幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 読書瞑想 書籍・地獄の法 参照です。

 

🍓 「原則、信仰心なき者は地獄に堕ちる」

 

本章は、「地獄の法」と題を付けましたが、たぶん、本章のメインの一つだと考えられます。「地獄の法」というのは、ちょっと広範に見えて難しいですから、言葉を換えれば、「閻魔の本心」とでも言うべき内容になるかと思われます。


 

ですから、みなさんにとって特に役に立つような話といいますか、「実際、どんなふうに裁かれますか」ということをお話しておきたいと思います。


 

実際、罪刑法定主義で、「こういう刑罰が、こういうことをしたらあるよ」ということを知らされて、それでも犯した人は罪人になるというのが普通なのですけれども、現代のように、もう信仰心がなくなって、宗教も勉強していなくて道徳心も失われた世の中においては、そうした「これをしたら地獄に堕ちるぞ」というようなことは、聞いてくれる人もほとんどいないということでしょうか。


 

現代人にとっては、「地獄そのものはこの世にあると思っている」というか、例えば、この世で失業したり、失恋したり、暴力に遭ったり、殺されたりするような「この世での不幸」を「地獄」と思っている方のほうが多いかもしれず、そういう「地獄にはめられた」という感じになるかもしれません。


 

しかし、実際は、万人が万人、必ず死ぬことになっており、現代では、長くても百二十歳ぐらいまではありますので、「生まれた人は必ず死ぬ」というのはもう逃れられないことであり、「医学の発達」といくら言っても、これは百パーセント敗れることになっているのです。


 

死ぬ時期を遅らせるとか、一時的によくするとか、そういうことは可能ですけれども、根本的に死なない人間をつくることはできません。「死なない人間」というのであれば、永久ロボットのようなものしかありえないとは思うのですが、ロボットであっても、故障したり、燃料切れになったり、いろいろして、使えなくなることはおそらくあるでしょう。


 

動物の大多数は人間よりも短い寿命しか持っていませんので、人間として生きている間に、動物とかが死んでいくのを見ることが多いと思うのです。ペットとか、犬猫の類です。


 

それから、それ以外の、食糧にされている動物とかも死にますし、卑近な例で言えば、夏休みに昆虫を捕っている子供たちでも、カブトムシやクワガタの死ぬのを見て、「死とは何かということを ”簡単” には悟る」ことにはなります。


 

では、肝心なところとして、要は「どういうふうにすればいいのか」「どういうふうに考えればいいのか」ということになりますけれども、大きくポイントを言えば、一番目には、「原則、信仰心なき者は地獄に堕ちる」ということです。


 

この信仰心というのは、明確に「○○宗の△△派に属している」というところまで厳密に言っているものではありませんけれども、信仰心のある者とは、言葉に出したり明確に言えるかどうかは別にして、例えば「神仏の存在、あるいは高級霊、光の天使、菩薩、こういう方々がいるのではないか」と本心で思っているようなタイプの方です。


 

それから、「もしかしたら、悪いことをすれば地獄に堕ちるかもしれない。いいことをすることが、人間としてふさわしい生き方であって、そういう人は来世、幸福に生きるのが望ましい」という考え方を持っている人です。


 

基本的に、天国・地獄を分けるときに、そのような宗教心を持っていない人は地獄に堕ちるということになります。

 

🌈 プロの宗教家であっても、信仰心もなく、本質を知らなければ地獄行き

 

だから、何でもかんでもこの世に全部を託す時代になりつつあるので、若干、困っているわけです。


 

例えば、お経だって、もう、”ただの音声” と思っている方もいらっしゃると思うのですけれども、お経を読むのがうまいお坊さんの声を複製して、ロボットで ”ロボット派遣” をし、葬式のときに代わりに読経するというようなことも、現代ではサービスとして出ています。代行業者です。


 

そして、お経の長さによって値段が違うようです。例えば、「一時間、ロボットが読経してくれれば二十万円で済む」とか、「本物のお坊さんを呼ぶと、けっこう、百万から二百万円かかり、場合によっては三百万円、四百万円かかることだってありますよ」というようなことで、「こちらが安いですよ」という、ディスカウントショップの考え方のようなものを考え、サービス業として分類してやっている人もいらっしゃいます。


 

しかし、こういうことをやっている人は、そのロボットをつくっている人も、販売している人も、サービスを提供している人も、サービスを受けている人も、みんな地獄に行ってもらいます。絶対に許しません。


 

こういう、霊的世界や仏法真理の本質を無視して、単にこの世的な作業のレベルにして、唯物論の一角として生き延びるような仕事は、断じて許しません。歌手の歌とはちょっと違うので、そういうものではないと思います。


 

また、読経、お経を読むこと自体も、その本質を理解している者が読めば一定の功徳はあって、死者も弔われることになったり、読経している間に導きの天使とか菩薩が来る場合もありますけれども、まったく悟っていない人の読経の場合には、プロの僧侶であるとしても効かないこともあります。


 

その場合はどうなるかというと、「あの世を信じてもいないし、お経の功徳も信じていないし、内容も理解していないのに、職業としてだけやっている」というのは、”ヤブ医者” と同じということになりますので、基本的には、僧侶であっても、「信仰心のない僧侶、あるいは嘘をついている僧侶、人を騙している僧侶は地獄行き」ということになります。


 

これは教会の牧師でも同じです。神父でも同じです。信じていないのに、生活のため、生計のために家業として継いでいるとかいう方もいます。牧師だったら、結婚して子供をつくってもいいことになっています。


 

それは、その職業を継いでもらう必要があるから、そういうことは許可されているわけですけれども、「家がなくなったら困るというだけで、かたちだけ神学校を卒業して、神様のこと勉強して、やっているけれども、本人は信じてもいない」というふうな方もいらっしゃいます。


 

残念ながら、本質を知らないでプロとして職業に就いている人は地獄行きです。許しません。現実に、地獄のなかでも、また、そういう仕事をやっている人もいます。地獄でも救われたい人はいっぱいいるからです。


 

そういう人に、またしても、”偽説法” をして、間違った教えを説いたり、混乱させたり、結局のところ、救うどころか地獄での生活を長引かせるようなことを言っている人もいますけれども、基本的に許しません。こういう人たちは、もっと厳しい目に遇います。


 

地獄に行ってまだ、多くの人を迷わせているようなら、もっと下に堕ちていく、もっと厳しい世界に堕ちていくということです。そういうことになります。ですから、一番目には「信仰心、あるいは信仰心と思われるような、そういう考え方や心境をもっているかどうか」というところで、バシッと判定されます。

 

🍓 閻魔の法廷は生前の「思い」「行い」「心の声」を全部記憶し、逃さない・・・

 

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(私文:あの世の世界の存在)

 

あの世はあるのか、ないのかというのは、信じるか信じないか、ゼロか100か、この二つです。これ以外にはないと思います。賭けのようなものだとは思いますが、「ある」に賭けた方は、信じた方はどうか、これをきっかけに、他の本も読んで下さい。きっと、真実の仏法真理であると気が付くと思います。

 

わずか、十分・二十分の話です。どうか信じてほしいし、何度も読んで下さい。この文章から流れてくる波長を感じ取ってほしいです。

 

最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございます。是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・地獄の法 を読んでください。

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