幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・信仰の法 参照です。
🍓 光りを感じ、人生を立て直す瞬間を
⛄ 誰が何と言おうとも、この三十五年以上、私自身が積み上がてきた探究実績から見て、この世を去った世界は百パーセント存在します。
あなたがたが、もし、「肉体が自分のすべてだ」と思っているなら、それは絶対に間違っています。たとえ、いくら偏差値の高い大学の医学部を出た先生が、「人間は死んだら終わりだ」と言ったところで、間違っているものは間違っているのです。
人間としての尊厳から見て、「間違っているものは間違っている」と言い切らなければならないのです。それを知っていただきたいと思います。「現にあるものは、ある」のです。これは、あと何年か何十年かしたら、誰もが確実に体験することなので、どうか、私の言葉を覚えておいてください。
私の説いていることが、もし一点でも間違っていたならば、そのときには、霊となった姿でどうぞ抗議しに来てください。今まで、抗議に来た人など一人もいません。みな、あの世に還ってから「大川総裁が説いていたとおりだった」と言っています。
「あらかじめ知っておいてよかった」と言う人ばかりです。もっとも、真理を知らなかった人は、どこへ行ったらよいかが分からない状態なので、そもそも私のところへ来ることもできないでしょう。
ただ、「この世的な知性や知能、インテリジェンスが高い」とか、「地位が高い」とか、「家柄がよい」とか、「名の通った会社である」とか、あるいは男女の差とか、そういうものはまったく通用しない世界があるということを知っていただきたいのです。
この世では、いろいろな経歴があり、いろいろな仕事をしていたでしょうが、いずれ、誰もが死を迎え、あの世へ旅立ちます。そのときに持って還れるものは、あなたがた自身の心しかないのです。そして、「その心が、正しい信仰心を持っているかどうか」ということが試されるのです。
つまり、「人生において、神仏に対する信仰を持った生き方をしたか。それとも、神仏への信仰を妨害せんとして活動をしている、地獄界にうごめく悪魔たちの価値観に翻弄されて人生を生きたか」ということが、必ず問われるようになるのです。
それが、「個人としての最後の審判」に当たる部分です。それは、個人のみならず、組織や社会、国家においても当てはまります。要するに、「その組織や社会、国家における信仰心が、どのような色付けを持っているかによって、未来は、どのようにでも変わっていく余地がある」と私は強く信じています。
🍓 海外と大きく違う日本の宗教事情
私は、同じ法を説いても、日本と海外では説き方が違っています。それは、それぞれの国民の信仰心のレベルが違うからです。もちろん、「日本ほど発展していない国の人たちは、先進国である日本を尊敬する気持ちがあるため、日本人である私の話をよく聴いてくれる」という面も一部にはあるかもしれません。
しかし、そういう面を割り引いても、宗教心のある国の、宗教的素養のある国民の場合は、教えが素直にサーッと浸透していきます。例えば、アフリカのウガンダという国では、私の英語説法が、国営放送で毎週連続して流れましたし、映画「仏陀再誕」(製作総指揮・大川隆法。2009年公開)が流れたりもしました。
ネパールでも、国営放送で私の英語の説法が流れましたし、インドのムンバイでも、一部、ヒンディー語等の字幕が入ったりしながら、私の講演が流れました。日本のテレビ等では、ほとんどありえないことです。
日本では、「宗教に関して肯定的に報道したり、教義の流布に協力したりするのは、倫理に反することだ」と思われているのです。(注。ただし、一部のテレビでは講演を放映し始めている)。これはどういうことかと言うと、結局、思わず知らず、「宗教選択」がなされているということです。
つまり、それは、「神仏の側につくか、悪魔の側につくか」という選択であり、「神仏の側につかない」ということは、自動的に、「悪魔の側についている」ということになるわけです。それは結局、「この世を地獄界に近づける協力をしている」ということにほかなりません。
これは学校教育においても同じです。例えば、日本の教育界では、 ”記紀” すなわち、「古事記」や「日本書記」等の古代の神話を否定して、教科書に載せなかったりしますし、宗教についても、考古学的な興味・関心で載せることはあっても、その教えの内容には立ち入らないようにしています。
そのため、学校で教育を受けただけでは、普通に宗教心が芽生えることはありません。ミッションスクール等に通った人以外は、基本的に宗教心が芽生えないことになっているのです。さらに、大学の宗教学科に行くと、もっと信仰心がなくなっていきます。
日本の宗教学科では、宗教における信仰心の部分をまったく理解せず、ただただ、フィールドワークのように、できるだけ主観を排除して分析しているだけなのです。それは、医学部で、人体を解剖してバラバラにしているのと、ほとんど同じような状況です。
「何が正しいのか」「何が善であり、何が悪であるのか」ということさえ分からない状況が続いており、大学の宗教学は、まったく無駄な学問であと言わざるをえません。
🍓 人間は神仏の子であり、神仏の光の一部を宿した存在・・・
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(私文:宗教学科を出た人の問題点)
昔、宗教学科を出た人と話したことがありました。その人は、あの世なんかないと言い続けていました。宗教を本当に解剖して、バラバラにしたことを言い続けていました。大事な大事なあの世のことも、何が善で何が悪かということ、何が言いたいのか本当に分からないことを言っていました。
「人間は死んだらどうなるのか?」「人間は何のために生きているのか」といった、シンプルな疑問を教えてくれるのは幸福の科学 大川隆法総裁先生しかいないと、そのときにはっきりとわかりました。この仏法真理は正しいのです。