幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・正しい供養・まちがった供養 参照です。

 

🍊 普通の人は自分の死をなかなか自覚できない

 

肉体には魂が宿っており、死後は、その魂が肉体から離れ、あの世へと旅立っていくわけですが、通常、自分が死んだことが、なかなか分からないのです。もちろん、亡くなって、その日のうちに、サッと肉体から出ていく人もいますが、普通の人は、自分が死んだことが、すぐには分かりません。


 

そこで、しばらくは、病気の延長のようなつもりで、肉体のなかにいるのです。そして、周りの人が、「ご臨終です」とか、いろいろなことを言っているのを、「まだ生きているのに、おかしなことを言うなあ」と思って聞いています。


 

ときどき、まぶたを開けたり閉めたり、ライトを当てたりされるので、「何をするか。まぶしいじゃないか」と本人は言っているのですが、「反応がありません。もう瞳孔が開いています」などと言われるわけです。


 

あるいは、「心臓が止まりました」とか言われるので、自分の胸に手を当ててみると、まだ心臓は動いているのです。これは心臓の霊体がまだ動いているからなのですが、「あれ、おかしいな。心臓が動いているのに『止まった』と言っている。この医者は誤診をしている。


 

『脳波も停止しました』なんて、大変なことを言っているけども、現に脳が一生懸命に活動しているのに、何を言っているのだ」というように思うのです。このように、通常は、「自分はまだ生きている」と思っていて、死んだことの自覚がありません。しかも最初は肉体そのままの姿でいますから、周囲の状況を変に感じるのです。


 

🍊 魂が肉体から離れるまでの様子


 

普通の場合、魂が肉体から離れるまでに、だいたい一日から二日くらいかかります。通夜という習慣があり、この通夜の期間を過ごしてからでないと、火葬場で肉体を焼かないようになっていますが、なぜかというと、まだ魂が肉体から離れないからです。


 

伝統的に、「魂が離れていない間は肉体を焼いてはいけない」ということが知られているのです。やがて、セミが殻を脱ぐようなかたちで、魂は次第しだいに肉体から遊離していきます。まず、魂の上半身の部分が起きてきます。


 

そのあと、魂全体が体から浮いて出てきて、スーッと空中に浮き上がります。そのときに、魂と肉体は、頭の部分から出た一本の線でつながっています。「霊子線」(シルバー・コード)という線です。これがつながっているうちは、まだ完全な死ではないのです。これが、やがてブチッと切れます。


 

それが切れたときに、「完全に死んだ」というかたちになります。そのあと、しばらくは、自分の通夜や葬式が営まれているところ、それから、火葬場で焼かれるている所を、自分で見ることになります。そして、「葬式で飾られている写真を見たら、なんと、私の写真が飾られている」ということで、「どうやら、私は死んだらしい」と悟るわけです。


 

また、各人には守護霊というものがいて、そのころに、この守護霊が迎えに来ます。人間が死ぬときには、守護霊が迎えに来て、「あなたは、実際は死んだのだ」ということと、「地上への執着を去らなければいけない」ということを懇々と教えてくれ、それから、その人が行くべき場所に連れていってくれます。そのような導きがあるのです。


 

🍊 霊界では一人ひとりが大事にされている


 

その後、魂は体から離れ、トンネルを抜けて光の世界に入り、お花畑を通って三途の川に出ます。日本では川の場合が多いのですが、湖の場合もありますし、スイスのほうでは、山の峠を超えることが、三途の川を渡る代わりになっていることもあります。


 

そのように、いろいろな場面が出てくるのですが、そのときに何らかの導きは必要なのです。あの世では、導きの仕事をするために、数多くの人がいます。その実態を見れば見るほど、「人間は一人ひとりが非常に大事にされているのだな」と思います。


 

地上には六十億以上の人がいて、毎日、誰かが事故で死んだり病気で死んだりしますが、そのことがきちんと霊界に伝わっていて、その人の関係者が来てくれるのです。ありがたいことに、友達や親類縁者も来てくれますし、さらには、宗教系統のお手伝いの人たちまで来てくれます。ある人の死を、あの世の多くの人たちが知っているのです。これを見ると、「一人ひとりが非常に大事にされている」と感じます。

 

 

🍊 過去を映し出す「照魔の鏡」


 

普通の人の場合、三途の川も出てくるのですが、そのあと、生前の清算をするまでの間は、天国・地獄が分かれる前の所、この世の延長線上の霊界にいます。そこで、よく言われるように、過去を映すスクリーンを見ます。


 

スクリーンというのは現代語で、現代の映画やビデオができて初めて出てきたものであり、昔で言えば、過去を映す鏡です。あの世の人と、いろいろな話をしてみたところでは、彼らは、だいたい、「『照魔の鏡』という言葉をよく使う。『照魔の鏡』と言うことが多い」と述べています。


 

それは、生前の悪業、悪いことをしたことなどを映し出す鏡なのです。そういう、イメージ的には鏡、もしくはスクリーンのようなものがあり、自分の生前の何十年かの生涯、「個人ヒストリー」を上映してくれるのです。


 

この世的には、上映時間は、本当に短い時間なのですが、気分的には一時間ぐらいの感じでしょうか。生まれてからの、要所要所、いろいろな人生の転機、要するに、自分の意識で見ると「スナップ写真」みたいに写っているようなところが出てきます。


 

この世に生まれて、幼少時代、小学校時代、中学校時代があり、それから、進学したり、卒業したり、結婚したり、就職したり、転職したり、離婚したり、破産したり、再建したり、子供が大きくなったり、子供が亡くなったり、いろいろなことがあります。


 

そういう、自分の経験したことのトピックスが、次々と出てきて、「その都度その都度、自分がどのように思ったか。どう考えて乗り超えてきたか」というようなことが、ザーッと出てくるのです。


 

🍊 ”人生のドラマ” を見て、死後の行き先が決まる・・・

 

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(私文:照魔の鏡)
人生を振り返る、『照魔の鏡』の存在は、マジで恥ずかしいです。誰も見ていないと思い、好き勝手に生きてきた人生です。それを多くの人に見られてしまうなんて、今からビビっています。神様の創られた世界というものは本当に公平にできていると思いますが、本当に嫌なものですね。日光精舎の「八正道研修」を受けて、心の間違いを振り返ることをしなくてはと思っています。死ぬことは、いいけれどこの、『照魔の鏡』対策をしたいと考えています。

 

最後まで読んで頂いて、本当に、本当にありがとうございます。是非とも、幸福の科学 主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生 書籍・正しい供養 まちがった供養 を読んでください。

 

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